HPI(Human Performance Improvement)は、研修の企画から入らずに、事業目標と現状の差を測り、その差が生まれている原因を特定してから打ち手を決める方法論です。原因が業務設計や評価制度の側にあるなら、正解は研修ではありません。ここでは国際団体ISPIが公開している10の標準を軸に、原因分析の型、成果の測り方、日本の統計から見た適用条件までを整理します。
まとめ:HPIの要点
- HPIは成果(パフォーマンス)のギャップを起点に、原因分析を経て施策を選ぶ体系的プロセスです。研修は選択肢の一つにすぎません。
- 実務の公開標準は、ISPI(International Society for Performance Improvement)の10 Performance Standardsです。第1〜4が全工程に通じる原則、第5〜10が実施の順序にあたります。
- 原因分析にはギルバートのBEM(6区分)とラムラー&ブラッシュの9変数(3レベル×3次元)が使われます。米エネルギー省の手引きは、人的過誤だけを原因とせず、背後のシステム上の問題を調べる立場です。
- 成果はカークパトリックの4レベルとROI Methodologyの第5レベルで測ります。カークパトリック公式は2026年にperformance environmentを明示的に組み込みました。
- 令和7年度の能力開発基本調査では、人材育成に問題があるとした事業所が80.1%、その最多が「指導する人材が不足している」59.5%です。指導者や育成時間など、研修内容以外の課題も挙がっています。
以下、定義と10の標準、原因分析の型、評価指標、そして日本企業で着手すべき条件の順に見ていきます。
HPIの定義と、業績ギャップから逆算する考え方
HPIが出発点に置くのは、個人の能力ではなく組織が出している成果です。能力は、原因分析の段階で業務環境と並べて検討します。まず到達したい成果を数値で置き、現状との差をパフォーマンスギャップとして定義します。そのうえで、差が生じている原因を調べ、原因に対応する施策を選びます。研修から始めないのは、ギャップの原因が知識やスキルの不足であるとは限らないためです。
この考え方を広めたのが、米国の人材開発団体ATDです。ATDの前身はASTD(American Society for Training & Development)で、2014年5月6日のASTD 2014 International Conference & Expositionで改称が発表され、5月8日に「ASTD, the American Society for Training & Development is now called the Association for Talent Development」として正式にリリースされました。設立は1943年、当時の名称はAmerican Society of Training Directorsです。日本語の解説記事が「ASTDの定義」と書いているのは、この改称前の名称を指しています。
一方、HPIを実務の標準として公開しているのはISPIです。ISPIは公式ページで、10 Performance StandardsとAI4PIフレームワークが実務者に根拠に基づく体系的プロセスを与えると説明し、これを資格認定CPT(Certified Performance Technologist)の審査基準にしています。CPTの要件は、パフォーマンス改善または関連分野で3年以上の実務経験、複数プロジェクトで各標準を適用したことを示す記述、クライアントや上司からの証明、そして倫理規程への同意です。筆記試験ではなく、実務で標準を適用した証拠が審査される認定です。認定と更新は3年単位で、更新には3年間で40ポイントの活動実績が必要です。
2026年9月時点のISPIは、10標準に加えてAI4PIフレームワークを掲げ、CAIT(Certified AI Performance Technologist)というAIを用いたパフォーマンス改善の認定も設けています。10標準の枠組みを押さえたうえで、AIを使った改善活動がどこまで標準に取り込まれているかも合わせて確認しておくと、現在の実務に届きます。
ISPIの10標準で追うHPIの進め方
第1〜4:全工程に通じる原則
ISPIは10標準のうち第1〜4を「universal guiding principles」と位置づけています。プロジェクトのどの段階にも効く前提条件、という意味です。
| 番号 | 標準(原文) | 要点 |
|---|---|---|
| 1 | Focus on Results or Outcomes | 解決策を先に決めず成果から考える |
| 2 | Take a Systemic View | 組織を系として捉える |
| 3 | Add Value | 専門性で価値を足す |
| 4 | Work in Partnership | 当事者と協働する(原文はwith Clients and Stakeholders) |
日本語の解説でよく見る「HPIの4つの基本原理」(結果重視、システム思考、科学的で費用対効果の高い手段、現場との信頼関係)は、この第1〜4の原則と大きく重なります。第1標準の原文には「They are not predisposed to a set of solutions」とあります。特定の解決策を持ち込まない、という宣言です。研修会社が研修を売り、システム会社がシステムを売る構図を避けるための条件と読めます。
第5〜10:実施の順序
第5以降が、実際に手を動かす順序です。ISPIは公式ページで、力量のある実務者は残りの標準が表す体系的プロセスに従うと説明しています。
| 番号 | 標準(原文) | この段階の問い |
|---|---|---|
| 5 | Determine Need or Opportunity | どこに差があるか |
| 6 | Determine Cause | なぜ差が生じているか |
| 7 | Design Solutions including Implementation and Evaluation | 実行と評価まで含めて設計する |
| 8 | Ensure Solutions’ Conformity and Feasibility | 現場で成立するか |
| 9 | Implement Solutions | どう定着させるか |
| 10 | Evaluate Results and Measure Impact | 成果は動いたか |
日本語の解説では、この工程が5ステップや6ステップとまとめられることが多く、記事ごとに段階の数が違います。数え方を争う意味はありませんが、第7標準が設計の時点で実行と評価を含めると明記している点は押さえておきたいところです。評価方法を後から考える進め方は、この標準から外れます。
原因分析の3つの型
第6標準「Determine Cause」では、成果のギャップを生む原因を特定します。ここを飛ばして「スキル不足」と決めつけると、結局は研修に戻ります。実務では次の3つの型が使われます。
ギルバートのBEM:環境要因と個人要因の6区分
トーマス・F・ギルバートが著書『Human Competence: Engineering Worthy Performance』で示したBehavior Engineering Model(BEM)は、原因を環境側と個人側の2行、情報・道具・動機づけの3列に分けた6区分の枠組みです。ロジャー・シュバリエは2003年の論文「Updating the behavior engineering model」(Performance Improvement誌 42巻5号 8-14ページ)でこれを更新し、ギャップ分析・原因分析・力の場分析を組み合わせた実務用の補助ツールとして提示しました。
| 区分 | 情報 | 道具 | 動機づけ |
|---|---|---|---|
| 環境側 | Data(期待と実績の伝達) | Instruments(設備・手順) | Incentives(報酬・評価) |
| 個人側 | Knowledge(知識・技能) | Capacity(適性・体力) | Motives(動機) |
使い方は、まず環境側の情報・道具・インセンティブを確認し、そのうえで個人側の知識・適性・動機を調べる順序です。環境側で説明がつく問題に研修を当てても、成果は動きません。個人側のKnowledgeに原因が残ったときに、研修や教育設計の手順であるインストラクショナルデザインの出番になります。順序を逆にすると、期待値が伝わっていないだけの問題に研修費を投じることになります。
ラムラー&ブラッシュの9変数:組織・プロセス・職務の分析
ジェアリー・A・ラムラーとアラン・P・ブラッシュの『Improving Performance: How to Manage the White Space on the Organization Chart』(第3版、Jossey-Bass、2012年12月、288ページ)は、組織を3つのレベルで捉えます。同書第2章の表題が「Three Levels of Performance: Organization, Process, and Job/Performer」で、各レベルに目標・設計・マネジメントの3次元を掛けた9つの変数が索引に立っています。
| レベル | 目標 | 設計 | マネジメント |
|---|---|---|---|
| 組織 | 戦略と市場での約束 | 機能の分割と連携 | 資源配分と業績管理 |
| プロセス | 工程ごとの達成水準 | 工程の流れと引き継ぎ | 工程の所有者と改善 |
| 職務・担当者 | 個人の成果責任 | 職務設計と道具 | フィードバックと処遇 |
この型が効くのは、部門間の引き継ぎで成果が落ちているときです。同書が「white space」と呼ぶ組織図の空白、つまり部門と部門のあいだは、誰の担当でもないまま放置されがちです。個人の能力を測っても原因は出てきません。
米エネルギー省の5原則:人的過誤の背後にあるシステム要因
安全分野には、行政機関が公開しているHPIの手引きがあります。米エネルギー省のDOE-HDBK-1028-2009『Human Performance Improvement Handbook』です。同書は人の成果を「組織要因・作業現場の条件・個人の行動・結果」が連なるシステムとして描き、「it is not a cause of failure, alone, but rather the effect or symptom of deeper trouble in the system」と述べています。人的過誤だけを失敗の原因として扱わず、その背後にあるシステム上の問題まで調べる立場です。
同書が掲げるPrinciples of Human Performanceは5つあります。人は誤る存在であること、誤りやすい状況は予測でき管理でき防げること、個人の行動は組織のプロセスと価値観に影響されること、高い成果は上司・同僚・部下からの働きかけと強化によって生まれること、そして過去の事象から学ぶことで事象は避けられること。3番目と4番目は、人事領域のHPIがBEMの環境側で言っていることと同じ内容を、別の言葉で述べたものです。作業手順のミスを設計で防ぐ発想は誤操作を設計で封じるフールプルーフと地続きで、製造業やIT運用の現場ではこちらの語彙のほうが通りやすい場面もあります。
研修中心のやり方との違い
以下は、原因分析や事前の評価設計を省いた研修施策とHPIの比較です。研修施策全般の特徴を示すものではありません。
| 観点 | 研修中心 | HPI |
|---|---|---|
| 起点 | 受講ニーズ・年間計画 | 事業目標と現状の差 |
| 原因の扱い | スキル不足を前提 | 環境側から順に検証 |
| 打ち手 | 研修プログラム | 制度・手順・道具・研修 |
| 評価 | 受講者満足と理解度 | 業績指標の変化 |
| 設計時点の評価計画 | 実施後に検討 | 設計に内蔵(第7標準) |
誤解されがちですが、HPIは研修を否定しません。原因が知識・技能にあると確認できたなら、研修は正しい打ち手です。その場合は業務を離れて行うOFF-JTの位置づけと要件を踏まえて形式を決め、設計は教育設計の標準手順であるADDIEモデルに寄せるのが素直です。HPIが変えるのは「研修をやるかどうか」ではなく「研修をやると決める前に何を確かめるか」です。
成果の測り方:4レベル、ROI、そして2026年の更新
第10標準が求める「Evaluate Results and Measure Impact」を実行するには、測る階層を決める必要があります。よく使われるのは、研修効果を四段階で測るカークパトリックモデルです。公式のKirkpatrick Partnersは4レベルをLevel 1: Reaction、Level 2: Learning、Level 3: Behavior、Level 4: Resultsと定義し、「The four levels are linked, yet the model is not linear」と述べています。
注目すべきは2026年の更新です。公式サイトはVanessa Milara Alzateがperformance environment(成果が生まれる環境)をモデルに組み込んだと記載し、環境が変化の妨げになれば設計の良い施策でも成功しないと明言しています。さらに「Beyond ROI」としてROE(Return on Expectations)を前面に置き、事前に関係者が合意した成功の定義で測る方式を勧めています。HPIが20年以上主張してきた「原因は環境側にもある」という論点が、研修評価の側から合流した形です。
金額で示す必要があるなら、ROI Instituteが公開するROI Methodologyを使います。こちらは5階層で、Level 1: Reaction & Planned Action、Level 2: Learning、Level 3: Application & Implementation、Level 4: Business Impact、Level 5: Return on Investmentという構成です。計算は2種類あります。
| 指標 | 式 | 意味 |
|---|---|---|
| BCR | 便益÷費用 | 費用1に対する便益 |
| ROI(%) | 純便益÷費用×100 | 費用を引いた後の収益率 |
ROI Instituteは算定を6段階の手順に分け、改善の特定、施策への寄与分の切り分け、金額への換算、費用の積み上げ、無形便益の列挙、比較の順に進めるとしています。ここで肝心なのは2番目の「寄与分の切り分け」です。施策以外の要因で数字が動いた分を差し引かなければ、ROIは実態より大きく出ます。費用側も、ニーズ調査・設計・実施・参加者の時間・評価までを含めた完全原価で積むことが求められています。
日本企業でHPIが効く条件と、着手を見送るべき場面
日本の職場の育成課題を把握する参考として、常用労働者30人以上の企業・事業所を対象とする能力開発基本調査を確認します。厚生労働省の令和7年度「能力開発基本調査」によると、能力開発や人材育成に何らかの問題があるとした事業所は80.1%です。問題点の内訳は次のとおりです。この回答だけでは、各問題の原因や有効な改善策までは特定できません。
| 問題点(複数回答) | 割合 |
|---|---|
| 指導する人材が不足している | 59.5% |
| 人材を育成しても辞めてしまう | 51.6% |
| 人材育成を行う時間がない | 45.5% |
| 鍛えがいのある人材が集まらない | 27.5% |
| 育成を行うための金銭的余裕がない | 14.3% |
| 人材育成の方法がわからない | 10.0% |
ここから先はBEMの出番です。指導者不足なら職務設計・時間配分・指導技能を、離職なら処遇・職場環境・本人の事情を、環境側と個人側の両方から調べます。研修の要否が決まるのはその後です。挙がっている問題が研修の内容そのものではなく育成の体制側に集まっているとき、HPIを持ち出す価値があります。
投じている金額の水準も押さえておきます。同調査では、OFF-JT費用を支出した企業における労働者1人当たり平均額は令和6年度実績で2.0万円、前回の1.5万円から0.5万円増えました。OFF-JTを受講した労働者は全体の37.3%(正社員44.5%、正社員以外19.4%)、受講者の年間平均延べ受講時間は、時間階級別の回答から推計した20.5時間です。費用は企業調査、受講時間は労働者調査の値なので、両者を同じ対象への投資として足し合わせることはできません。それでも、研修に割かれている時間と金額の水準はこの程度だと分かります。研修だけで目標を達成できるかは、各職場の原因分析と施策の効果測定で判断してください。
一方で、着手を見送ったほうがよい場面もあります。第一に、事業目標を測定可能な形にするための関係者の協力が得られない組織です。目標が「風土を良くする」といった言葉だけでも、第1標準は成果を測定可能な形に直す支援を実務者の仕事に含めています。問題になるのは、その作業に経営や現場が付き合わない場合です。目標値と現状値の差が置けないまま進めても、原因分析の材料がそろいません。第二に、原因分析の結果を受けて制度や業務プロセスを変える権限が、プロジェクトに与えられていない場合です。分析だけ実施して打ち手が研修に戻るなら、費用をかけた分だけ従来型より不利になります。権限の確保は、経営と人事をつなぐHRBPの役割を置いている組織のほうが進めやすいと言えます。第三に、外部コンサルタントに丸ごと委ねる形です。ISPIの第4標準は、現場・経営・専門家などの情報と知見を持ち寄り、意思決定と実施責任を共有する協働を求めています。
「HPI」という略語の他の意味
HPIは人材開発の専用語ではありません。検索で行き違いが起きやすいのは次の2つです。
1つはHogan Personality Inventory、ホーガン社の性格検査です。公式の説明では、五因子モデルに基づき1980年代に社会分析理論(socioanalytic theory)の文脈で開発された検査で、7つの主尺度と42の下位尺度から構成されます。尺度はAdjustment、Ambition、Sociability、Interpersonal Sensitivity、Prudence、Inquisitive、Learning Approachです。採用や管理職の育成で使われるため人事領域で名前が出ますが、本記事のHPIとは別物です。「HPI診断」「HPIの検査」を探している場合は、こちらを指していることがあります。
もう1つが、「米エネルギー省の5原則」で触れた安全分野のHuman Performance Improvementです。原子力・エネルギー・製造・IT運用の現場では、DOE-HDBK-1028-2009の系譜を引く「ヒューマンパフォーマンス向上」の意味でHPIが使われます。人材開発の文脈と考え方の根は同じですが、使う道具はエラー防止策や作業前ブリーフィングなど、現場の運用手順に寄ります。
よくある質問
HPIとHPTは何が違いますか?
指しているものはほぼ同じで、呼び分けの問題です。HPT(Human Performance Technology)はISPIが使ってきた呼称で、CPTの正式名称であるCertified Performance Technologistにも残っています。ISPIは現在の公式ページで「the practice of human performance improvement」と書いており、10 Performance Standardsが両方の実務基準になっています。
HPIに資格はありますか?
ISPIのCPT(Certified Performance Technologist)があります。試験ではなく実績審査で、パフォーマンス改善または関連分野で3年以上の経験、複数プロジェクトでの各標準の適用を示す記述、クライアントまたは上司からの証明、倫理規程への同意が要件です。認定と更新は3年単位で、更新には40ポイントの継続活動が必要です。2026年からはAIを用いたパフォーマンス改善の認定CAITも用意されています。
中小企業でもHPIは使えますか?
規模の制約はありません。必要なのは、目標値と現状値を数値で置けること、原因分析の結果に応じて制度や手順を変えられることの2点です。意思決定の階層が浅く、担当者に変更権限と必要な資源がある組織では、分析結果を施策に反映しやすくなります。目標が抽象的な場合は、ISPI第1標準に沿って、成果とその測定方法を具体化するところから始めます。
HPIの効果はどのくらいで出ますか?
一律の目安はありません。評価の順序で見れば、行動(Level 3)は実務での実践機会に合わせ、業績指標(Level 4)は指標の更新頻度と成果が現れるまでの期間に合わせて測ります。ROI Methodologyでは、時間差の有無にかかわらず、施策の効果を他の要因による変化から切り分けます。設計段階で、どの指標をいつ測るかまで決めておく必要があります。