企業のカーボンニュートラルへの取り組みは、排出量の算定、削減目標の設定、削減策の実行、外部への開示という4つの工程に分かれます。従業員5名の金属加工会社が中小企業版SBT認定を取り、計測開始から約15%の削減に届いた例もあり、規模の大小で着手の可否は決まりません。この記事では、企業が取り組む理由と法定義務の対象判定、中小企業3社の取り組み事例、そして各工程で必要になる排出量データの集め方と仕組みの要件を順に整理します。最後に、表計算のまま続けてよい企業と、仕組み化に進むべき企業の分かれ目を条件付きで示します。
まとめ:企業のカーボンニュートラルは算定から始める4工程の仕事
企業の取り組みは「算定→目標設定→削減→開示」の順で進めます。削減策から手を付けると、何トン減ったかを説明できず、取引先への回答にも使えません。最初の1年は電気・ガス・燃料の請求書からScope1・2を算定し、基準年を固定するところまでで十分です。
法定の報告義務は、温対法の原油換算1,500kl、GX-ETSのCO2直接排出10万トンといったしきい値で決まります。多くの中小企業は対象外ですが、取引先からの排出量の提出要請は規模に関係なく届きます。
システム化を急ぐ必要はありません。拠点が1〜2か所でScope1・2だけなら、表計算と係数マスタで回ります。拠点が5か所を超える、Scope3で取引先のデータを扱う、上場企業として開示の保証を受ける、のいずれかに当たった時点で、排出量データの収集と監査証跡を仕組みとして設計してください。
企業がカーボンニュートラルに取り組む理由|取引先要請と制度の対象判定
カーボンニュートラルという言葉の定義や、日本全体の削減目標はカーボンニュートラルとは?意味をわかりやすく、脱炭素との違いと日本の目標・2024年度の実績で扱っています。この章では、個々の企業がなぜ動く必要があるのかを、外から来る要請と法律上の義務に分けて見ていきます。
取引先からの排出量提出要請がサプライヤーの中小企業まで届く仕組み
大企業が自社の排出量を報告するとき、範囲は自社の工場やオフィスだけで終わりません。調達した部品や外注した輸送で出た排出も「Scope3」として数えます。環境省と経済産業省のサプライチェーン排出量算定に関する基本ガイドライン(ver.2.8・2026年3月)は、このScope3を購入した製品・サービスから販売した製品の廃棄まで15のカテゴリに分けています。
大企業がScope3の精度を上げようとすると、取引金額に係数を掛ける概算から、サプライヤーごとの実データへの置き換えを進めることになります。結果として、従業員数十名の部品メーカーにも「年間の電力使用量と排出量を出してほしい」という依頼が届きます。要請の起点は取引先の開示であり、自社の規模とは無関係です。
温対法の1,500klとGX-ETSの10万トンで決まる法定義務の有無
法律で排出量の報告を義務づけられるかどうかは、エネルギー使用量と排出量のしきい値で決まります。主な判定は次の表のとおりです。
| 制度 | 対象になる条件 | 求められること |
|---|---|---|
| 温対法のSHK制度 | 全事業所で原油換算1,500kl/年以上 | 毎年度7月末日までに排出量を報告 |
| 温対法のSHK制度 | 他のガスがCO2換算3,000トン以上 | 従業員21人以上の事業者が報告 |
| GX-ETS | CO2直接排出が3年度平均10万トン以上 | 排出実績と同量の排出枠を保有 |
温対法の要件と報告期限は環境省の算定・報告・公表制度の制度概要に掲載されており、未報告や虚偽報告には20万円以下の過料があります。GX-ETSは経済産業省の排出量取引制度のページが窓口で、2026年度の届出と移行計画の期限は9月30日でした。どちらも対象外の企業が大半ですが、取引先が対象企業であれば、その報告の材料として数値を求められます。制度の詳細は温対法とは?算定・報告・公表制度の対象と省エネ法との違い、報告データの要件で解説しています。
メリットは光熱費の削減と採用・取引の評価、事例が示す実際の順番
競合記事の多くは「イメージ向上」「資金調達」「競争力」を同じ重さで並べます。中小企業の事例を読むと、実際に手応えが出る順番は違います。
最初に数字で返ってくるのは光熱費です。後述する津田工業は、光熱費が2021年比で15%程度減ったと述べています。次に効いてくるのが採用と取引で、岡山技研工業は就職活動中の学生から「真剣に取り組んでいる会社」という印象を持たれたと話しています。資金調達や投資家からの評価は、上場企業や開示の対象になる規模でないと実感しにくい項目です。
デメリットは手間です。算定には請求書の集計や設備ごとの使用量の確認が必要で、担当者の時間を毎月取られます。このコストを下げる方法が、後半で扱うデータの集め方の設計になります。
企業の取り組みを算定・目標設定・削減・開示の4工程に分けた全体像
環境省は中小企業向けに「知る・測る・減らす」という3段階の進め方を示しており、その考え方はCO2排出量の計算方法|活動量と排出係数の掛け方とデータ収集の設計【2026年】の算定手順とつながっています。本記事では、取引先への回答や開示まで見据えて、目標設定と開示を独立した工程として切り出します。
4工程ごとの作業内容と使う公的資料、社内から集めるデータの対応表
工程ごとに、手を動かす中身と根拠にする資料、社内のどこからデータを取るかを並べると次のようになります。
| 工程 | 主な作業 | 根拠にする資料 | 社内データの出どころ |
|---|---|---|---|
| 算定 | Scope1・2を計算 | 環境省の排出係数一覧 | 電気・ガス・燃料の請求書 |
| 目標設定 | 基準年と削減率を決定 | 中小企業版SBTの基準 | 算定済みの基準年データ |
| 削減 | 省エネ設備と電力契約の見直し | 省エネ診断の結果 | 設備ごとの使用量と稼働記録 |
| 開示 | 取引先回答と報告書作成 | SSBJ基準とSHK制度 | 算定の根拠と計算履歴 |
算定の係数は、環境省の算定方法・排出係数一覧で年度ごとに公表されます。令和8年提出用の電気事業者別排出係数は2026年8月3日に一部が追加・更新されており、毎年同じ係数を使い回すと前年比が正しく出ません。
工程の順番を飛ばして削減策から始めた企業が効果を説明できない理由
よくある失敗は、LED照明や太陽光パネルの導入から始めてしまうことです。設備を入れた時点では排出量の基準年が無いため、削減量を「何トン」で示せません。取引先から求められるのは削減した事実ではなく、基準年と比べた数値です。
もう一つの失敗は、削減目標を先に宣言するケースです。2030年に半減と掲げても、基準年の排出量が後から見直されると目標の意味が変わります。算定を1年分回してから目標を置けば、この手戻りは起きません。
中小企業3社の取り組み事例|SBT認定・算定支援・データ統一の実際
中小企業基盤整備機構が運営するJ-Net21には、中小企業のカーボンニュートラルの取り組み事例が掲載されています。ここでは製造業の3社を、取り組みの内容だけでなく「誰がどのデータを集めたか」という観点で読み直します。
従業員5名の津田工業が中小企業版SBT認定後に約15%削減した経緯
岐阜県各務原市の株式会社津田工業は、従業員5名の金属製品製造業です。2022年に中小企業版SBT認定を取得し、2030年までに2022年比42%削減という目標を掲げています。
排出量は2021年から計測を始め、記事の時点で約15%の削減に届いています。資源エネルギー庁の補助事業である省エネに向けた専門的な診断を受け、専門員が全機械のCO2排出量を確認しました。電力使用量を可視化した結果を社内に掲示し、従業員が数字を見られる状態にしている点が特徴です。
5名の会社でも認定まで進めた理由は、データの範囲が小さいことにあります。拠点が1か所で、排出の大半が電力と燃料なら、請求書と診断結果だけで算定が成り立ちます。
東明電気製作所が算定支援でScope1・2を自社算定し委員会で回す仕組み
静岡県裾野市の株式会社東明電気製作所は、従業員47名で制御盤やハーネスを製造しています。2015年に取引先の大手電機メーカーの勧めでエコアクション21を取得したのが出発点です。
2023年に中小機構のCO2排出量算定支援を全3回利用し、アドバイザーから計算根拠データの集め方の指導を受けました。その後、5S責任者を中心にScope1・2を自社で算定し、2024年冬に中小企業版SBT認証の取得まで社内で完遂しています。
運用面では、管理部門と製造部門の各課の代表者で5S・環境委員会を構成し、月1回の定例会議で改善提案を発表しています。算定を担当者1人の作業にせず、現場の代表が数字を持ち寄る形にしたことで、担当者が替わっても継続できる体制です。次の課題として、同社はScope3の算定を挙げています。
岡山技研工業がカーボンフットプリント算定で経理と現場の形式を統一
岡山県和気郡の岡山技研工業株式会社は、従業員35名の鍛造部品・金型メーカーです。岡山県商工会連合会と岡山大学の支援を受け、製品2品についてカーボンフットプリントを算定しました。
算定には年間の電力使用量、重油の種類、製造個数や重量を使い、輸送・製造重量・廃棄物を中心に計算しています。個別の機械ごとの電力を厳密に出すのは難しいとも述べています。データは経理部門と現場から集めましたが、形式がそれぞれ異なっていたため、同じフォーマットに揃える仕組みを検討したそうです。
この事例は、算定作業そのものより「異なる部署の数字を揃える作業」が負担になることを示しています。製造プロセスを可視化した結果、業務の一部を効率化できたという副産物もありました。
3社の事例に共通する、算定の担い手と活動量データを取り出す場所
3社を並べると、算定の担い手と元データの出どころに共通点が見えます。
- 算定の元データは電気・燃料の請求書と、経理部門が持つ支払記録が中心
- 初回は外部の支援(省エネ診断、中小機構の算定支援、大学)を受け、2回目以降を自社で回す
- 担当者1人に任せず、委員会や掲示で現場と数字を共有している
- 次の壁はScope3とデータ形式の統一で、いずれも社外や他部署のデータを扱う段階
特に4つ目は、規模が大きくなるほど重くなります。表計算の手作業で吸収できる範囲を超えたときに、データ基盤の設計が必要になります。
工程別に見た排出量データ基盤のシステム要件|収集・連携・監査証跡
ここからは、4工程それぞれで排出量データに何が求められるかを、システムの要件として整理します。表計算で運用する場合も、同じ要件を手順書で満たす必要があります。
算定工程の要件は活動量を請求書と会計仕訳から月次で集める経路
排出量は「活動量×排出係数」で計算します。活動量とは、電力のkWh、都市ガスの立方メートル、軽油のリットルといった使用量のことです。この数値は電力会社やガス会社の請求書に載っており、会計の仕訳には金額だけが残ります。
年に1回まとめて請求書を探すと、拠点ごとの抜けや二重計上が起きます。月次の支払処理のタイミングで使用量も同時に記録する経路を作れば、年度末の作業は集計だけになります。具体的には、会計システムの勘定科目(電力料・燃料費)と拠点コードを紐付け、使用量の入力欄を支払伝票に持たせる方法が手堅い選択です。
目標設定と削減の工程では基準年を固定し係数の版を記録する設計
削減率は「基準年の排出量」と「当年の排出量」の比較で決まります。ところが排出係数は毎年更新されるため、どの年度の係数で計算したかを残しておかないと、基準年の数値を後から再現できません。
対策として、係数を数式に直書きせず、年度と係数の版をキーにした係数マスタを別に持ちます。基準年の排出量は、算定した時点の係数の版とともに固定値として保存しておきます。拠点の統廃合や事業の買収で範囲が変わったときは、基準年を再計算した履歴も残す設計にしてください。
開示工程ではSSBJ基準とGX-ETSの確認に耐える監査証跡を残す
開示の工程では、数値だけでなく「どう計算したか」を第三者に示す必要があります。SSBJのサステナビリティ開示基準は2025年3月5日に公表され、2026年3月13日に温室効果ガス排出の開示について改正されました。金融庁の改正開示府令(2026年2月20日公布)では、プライム市場で平均時価総額3兆円以上の企業は2027年3月31日以後に終了する事業年度の有価証券報告書から適用されます。
GX-ETSでも、登録確認機関が算定の根拠を確認します。どちらの場合も、元の請求書、使った係数の版、計算した日時と担当者、修正した履歴が追える状態であることが条件です。表計算のファイルを上書き保存で管理していると、この履歴が残りません。
表計算で続けてよい企業と仕組み化に進む企業を分ける規模と条件
算定ツールやシステムの導入は、規模と扱うデータの範囲で判断します。早すぎる導入は費用が無駄になり、遅すぎると開示や取引先回答の期限に間に合いません。
拠点1〜2か所でScope1・2だけなら表計算と係数マスタで足りる
拠点が1〜2か所で、算定範囲がScope1・2に限られるなら、表計算で十分に回ります。津田工業のように排出源が電力と燃料に限られる企業では、毎月の請求書から使用量を転記し、係数マスタを参照して年度末に集計するだけで済みます。
条件は2つあります。係数を年度別のマスタとして別シートに持つことと、算定ファイルを年度ごとに別名で保存して上書きしないことです。この2点を守れば、担当者が替わっても基準年の数値を再現できます。
拠点5か所超やScope3の取引先データを扱う段階でシステム化する
次の条件のうち1つでも当てはまれば、排出量データの収集を仕組みとして設計する段階です。拠点が5か所を超える、Scope3で取引先から1次データを受け取る、上場企業として開示の保証を受ける、の3つです。
この段階では、表計算のファイルを拠点や取引先に配って回収する運用が破綻します。形式の違うファイルが集まり、岡山技研工業が直面した「形式を揃える作業」が拠点数や取引先数の分だけ増えるためです。会計システムや購買システムから活動量を自動で取り込み、係数の版と計算履歴を残す設計が必要になります。機能の範囲や自社開発との分かれ目はCO2排出量管理システムとは|機能範囲と自社開発の分岐・基幹データ連携の設計【2026年】で整理しています。
既存の基幹システムとどうつなぐか、どの業務から手を付けるかの順番づけは、業務全体を見渡した設計が必要です。一創のDXコンサルティングでは、排出量の算定業務を含めた業務データの整理と、システム化の範囲決めから支援しています。
算定ツールの導入を見送るべき場面と、先に整える社内データの範囲
算定ツールを入れても、元データが揃っていなければ数字は出ません。次の状態なら、ツールの導入は見送り、社内データの整備を先に進めてください。
見送るべきなのは、電気・ガスの請求書が拠点ごとにバラバラに保管されている場合と、会計の勘定科目に拠点の区別が無い場合です。この状態でツールを契約しても、入力作業が人手のまま残り、月額費用だけが増えます。まずは請求書の保管場所を1か所にまとめ、勘定科目と拠点コードを紐付けるところまでを社内で済ませましょう。ここまで整えば、ツールでもシステムでも、導入後すぐに算定が回ります。
カーボンニュートラルに取り組む企業の担当者から寄せられるよくある質問
企業のカーボンニュートラルの取り組みについて、検索の多い質問に答えます。
中小企業もカーボンニュートラルに取り組む必要はありますか?
法律上の報告義務は、温対法の原油換算1,500kl以上やGX-ETSのCO2直接排出10万トン以上といったしきい値で決まり、多くの中小企業は対象外です。ただし、取引先の大企業がScope3の算定精度を上げるため、サプライヤーへ排出量の提出を求める動きがあります。義務の有無に関係なく、電気・ガス・燃料のScope1・2だけでも算定しておけば、要請が来たときにすぐ回答できます。
カーボンニュートラルに取り組むメリットとデメリットは何ですか?
中小企業の事例で最初に数字として表れるメリットは光熱費の削減で、津田工業では2021年比15%程度の削減が報告されています。採用や取引先からの評価も、事例の中で挙げられているメリットです。デメリットは算定の手間で、請求書の集計や部署ごとに形式の違うデータを揃える作業に担当者の時間が取られます。この手間は、月次の支払処理で使用量も記録する仕組みにすれば小さくできます。
企業はカーボンニュートラルに何から取り組めばよいですか?
最初の作業は、直近1年分の電気・ガス・燃料の請求書を集め、使用量に環境省の排出係数を掛けてScope1・2を算定することです。算定結果を基準年として固定し、その後に削減目標を決める順序です。設備投資や電力契約の見直しは、基準年が決まってからのほうが効果を数値で示せます。自社だけで難しい場合は、中小機構の算定支援や省エネ診断を初回に使う方法があります。
カーボンニュートラルの企業の取り組み事例はどこで探せますか?
中小企業の事例は、中小企業基盤整備機構が運営するJ-Net21の特集ページにまとまっています。業種、所在地、従業員数が記載されており、自社と近い規模の企業を探しやすい構成です。大企業の取り組みは、各社の統合報告書やサステナビリティレポートに掲載されています。事例を読むときは、取り組み内容だけでなく、算定に使ったデータや支援の受け方まで確認すると、自社に置き換えやすくなります。
製造業のカーボンニュートラルでは何から削減すればよいですか?
製造業では、電力を多く使う設備から見直すのが手堅い順番です。津田工業は省エネ診断で全機械のCO2排出量を確認し、東明電気製作所はLED化、デマンドコントロールによる節電、コンプレッサーのエア漏れチェックを進めました。どの設備が多く排出しているかは、設備ごとの使用量を測らないと分かりません。まず省エネ診断などで排出の大きい設備を特定し、そこから手を付けてください。
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