SAP CX(SAP Customer Experience)とは、営業、カスタマーサービス、EC、マーケティング、顧客データの管理を受け持つSAPの製品群の総称です。単一の製品名ではなく、Sales Cloud、Service Cloud、Commerce Cloudなどを束ねたポートフォリオを指します。本稿では、2026年10月時点のSAP公式情報をもとに、C/4HANAからの改称の経緯、5領域の製品構成、S/4HANAとの連携範囲、Sales CloudのV2移行を整理します。そのうえで示すのは、SalesforceやDynamics 365ではなくSAP CXを選ぶべき企業の条件です。
まとめ:SAP CXの製品構成と、他社CRMではなくSAP CXを選ぶ判断の要点
SAP CXは、顧客接点の業務を5つの領域に分け、それぞれに製品を用意した構成です。営業はSales Cloud、問い合わせ対応はService Cloud、ECはCommerce Cloudが受け持ち、マーケティングと顧客データの製品がその周りを固めます。全部をそろえる必要はなく、必要な領域だけを契約できます。
選ぶ理由は機能の多さではありません。S/4HANAの在庫、価格、受注の状況を営業やECの画面から直接引けることが、SAP CXの存在理由です。S/4HANAを使い、見積から受注、出荷までを顧客接点の業務とつなぎたい企業には第一候補になります。ERPがSAP以外で、営業の案件管理だけが目的ならSalesforceなどで足りる、というのが本稿の結論です。
SAP CXの定義とC/4HANAからの改称、CRMとCXの守備範囲の違い
「SAP CX」で検索すると、C/4HANA、Hybris、Emarsysなど複数の名前が出てきます。まず名前の整理から始めます。
SAP公式が示す、CRMと顧客体験の業務を1つの仕組みで扱う定義
SAPのCRMおよびカスタマーエクスペリエンスの製品ページは、SAP CXを「CRMとカスタマーエクスペリエンスを1つの自律型システムで統合」するものと説明しています。ソリューションの区分として挙がるのは、統合コマース、売上と収益、マーケティングとエンゲージメント、サービス、顧客データプラットフォーム、受注管理ソフトウェアの6つです。
同じページは、マーケティング、コマース、販売、サービスの機能を既存のSAP基盤に接続すると書いています。ERPの外側に独立したCRMを置くのではなく、ERPと地続きの顧客接点を作る、という設計思想が読み取れます。
2018年C/4HANAから2020年SAP Customer Experience改称
SAPは2013年にEC製品のHybrisを買収し、その後もGigya、CallidusCloudなどを買い足して顧客接点の製品をそろえました。IBMによるSAP CXの解説によれば、2018年にこれらを「SAP C/4HANA」として発表し、2020年に「SAP Customer Experience」へ改称しています。
SAPの製品ページのFAQも、hybrisは2018年に正式にSAP Commerce Cloudになったこと、Gigyaは2017年に買収を発表し、顧客IDと同意管理の機能をカスタマーデータソリューションに統合したことを記しています。古い資料でC/4HANAやHybrisと書かれていれば、現在のSAP CXの製品を指していると読み替えて差し支えありません。
CRMとCXの違い:営業記録の管理から顧客接点全体の設計へ広がる範囲
CRMは、顧客情報と商談の履歴を管理して営業活動を支える仕組みです。基本の機能はCRMの機能とSFA・MAとの違いを解説した記事で整理しました。CXはもっと広く、広告で知ってから購入し、問い合わせをして再購入するまでの体験全体を指します。
SAPが製品群を「CRM」ではなく「CX」と呼ぶのは、ECやマーケティングまで範囲に含めているためです。顧客体験を管理する考え方そのものはCXMとCRMの違いを解説した記事で確認できます。
SAP CXの製品構成:販売・サービス・コマース・マーケティング・顧客データの5領域
製品は領域ごとに分かれ、単体でも組み合わせでも契約できます。実務では、課題のある部門から1つか2つの製品で始めるのが普通です。
5領域の製品と担う業務の対応表:どの部門の課題をどの製品が受け持つか
2026年10月時点のSAP日本語サイトの区分をもとに、主な製品と担当する業務を並べると次のとおりです。表中のSAP CDPは、SAP Customer Data Platformの略記です。
| 領域 | 主な製品 | 担う業務 | 主な利用部門 |
|---|---|---|---|
| 販売 | SAP Sales Cloud | 案件・予測・訪問計画の管理 | 営業 |
| サービス | SAP Service Cloud | 問い合わせのケース管理 | カスタマーサポート |
| コマース | SAP Commerce Cloud | B2B・B2CのEC運営 | EC・営業企画 |
| マーケティング | SAP Engagement Cloud | キャンペーンと配信 | マーケティング |
| 顧客データ | SAP CDP | 顧客プロファイルと同意の統合 | 情報システム |
見積の構成と価格を扱うSAP CPQ、受注を一元管理するSAP Order Management Servicesも、この周りに位置します。複雑な見積を作る製造業ではCPQが、店舗とECの在庫をまたぐ小売では受注管理が、追加の候補に上がります。
Sales CloudとService Cloud:案件・ケース管理の役割分担
SAP Sales Cloudの製品ページは、同製品をセールスオートメーション、顧客獲得、ガイドセリング、予測管理、動的アナリティクスのためのCRMと定義しています。現場の営業向けには、訪問ルートを組む動的な訪問計画と、オフラインでも使えるモバイルアプリがあります。
SAP Service Cloudの製品ページは、サービス依頼を扱うCRMとして、ケース管理、オムニチャネルの応対、AIによる要約やメールの下書きを挙げています。FAQに明記されている対象は、中規模から大規模の企業です。問い合わせ窓口の要件の整理は、関連記事のコールセンター向けCRMの解説が参考になります。
Commerce Cloud:B2B・B2C・B2B2C対応とHybris由来の構成
SAP Commerce Cloudの製品ページによれば、B2B、B2C、B2B2Cのコマースを単一のプラットフォームで動かせます。FAQの説明では、同製品は単体型のCRMではなく、SAP Hybrisの進化形という位置付けです。画面を切り離すヘッドレス構成にはSpartacusというストアフロントで対応し、製品情報の一元管理にはProduct Content Managementを使います。
取引先ごとの掛け率や与信を扱う卸や製造業のEC、つまりB2BのECで強みが出る製品です。B2B ECの構築方法の選び方はBtoB ECの種類と構築方法を解説した記事で整理しています。
Engagement CloudとCDP:配信と顧客ID統合の役割分担
マーケティング領域について、マーケティングとエンゲージメントの製品ページはSAP Engagement CloudとSAP Customer Loyalty Managementを案内しています。2025年のリリース情報でSAP Emarsysの名で発表されていた配信機能の領域です。製品名は変わることがあるため、契約前に最新の名称と範囲を確かめてください。
SAP Customer Data Platformの製品ページは、2026年10月時点でSAP Business Data Cloudの配下に分類されています。顧客プロファイルの統合、同意に基づくデータの連携、ERPとの共通データモデルが主な機能です。CDPの一般的な仕組みはCDPの仕組みとDMP・CRMとの違いを解説した記事で確認できます。
SAP CXとS/4HANAの連携範囲、Sales CloudのV2移行で確認する論点
SAP CXの評価は、ERPとどこまでつながるかで決まります。製品ページの機能一覧より、この章の論点を先に確かめてください。
Sales CloudからS/4HANAの在庫・価格・注文状況を直接参照できる連携範囲
Sales Cloudの製品ページのFAQは、SAP ERPおよびS/4HANAとの連携で、営業担当者がシステムを切り替えずに顧客アカウント、製品の利用可能状況、価格設定、見積、注文、注文ステータスへアクセスできると説明しています。営業が見積の前に在庫と価格を確かめ、受注後の出荷状況を顧客に答える、という一連の動きを1つの画面で完結させる設計です。
クラウドERPとの組み合わせでは、Sales CloudがGROW with SAP S/4HANA Cloud Public Edition, premiumの一部として提供される形もあります。S/4HANA本体の導入形態の違いはS/4HANAの導入形態と移行方式を解説した記事で確認できます。
クラシック版V1からV2への移行:4段階の進め方と連携の再点検項目
Sales CloudとService Cloudには、クラシック版(V1)と新しいV2があります。SAPのSales CloudとService CloudのV2移行ページは、移行を次の4段階で進めると説明しています。
- Explore:準備状況を確かめ、自社向けの移行経路を得る
- Plan:業務プロセスとデータを評価し、要件と移行戦略を決める
- Migrate:AIを使う移行ツールで業務プロセスとデータを移す
- Launch:業務プロセスをテストして本番稼働し、改善を続ける
手間がかかるのは連携の作り直しです。SAPの2025年第3四半期のSAP CX新機能の発表は、V2連携向けの統合レビューのチェックリストを紹介しています。点検項目は認証メカニズム、インターフェース設定、ミドルウェア設定、SAP Integration Suiteの実装です。V1でERPと独自の連携を組んでいる企業ほど、この点検の範囲が広がります。
出自の違う製品をつなぐため、データ統合はIntegration Suiteの設計次第
SAP CXの製品は、自社開発と買収の製品が混ざった構成です。Commerce CloudはHybris、顧客データの製品はGigyaの技術を引き継いでおり、製品ごとにデータの持ち方が違います。Commerce Cloudの製品ページは、他のSAP製品やサードパーティとの接続にSAP Integration Suiteの事前構築済みの統合を使うと説明しています。
顧客、品目、価格のマスタをどの製品が正として持つかを先に決めないと、同じ顧客が複数の製品に別々に登録されます。API連携の設計の考え方はCRMと基幹をつなぐAPI連携の設計を解説した記事が参考になります。
SAP CXとSalesforce・Dynamics 365の比較と導入失敗の2つの型
SAP CXを検討する企業の多くは、SalesforceやDynamics 365と並べて比べます。違いはCRMの機能より、ERPとの距離に出ます。
SAP CX・Salesforce・Dynamics 365:ERP連携による適性
3製品の向き不向きを、ERPとの関係を軸に整理すると次のとおりです。
| 製品 | ERPとの関係 | 向いている企業 |
|---|---|---|
| SAP CX | S/4HANAと同じベンダーで連携が標準 | S/4HANAを使う中堅・大企業 |
| Salesforce | ERPは他社製品と連携して使う | 営業管理を先に整えたい企業 |
| Dynamics 365 | 同社のERPアプリと同じ基盤 | Microsoft 365を軸にする企業 |
Salesforceは営業管理の画面と周辺アプリの豊富さで選ばれ、ERPは別製品とつなぐ前提です。製品の詳細はSalesforceの機能と料金を解説した記事とDynamics 365のCRM・ERPアプリを解説した記事にまとめました。ベンダー横断の選定の進め方はSalesforce・SAP・Dynamicsの選定軸を解説した記事で扱っています。
価格は見積もり方式、総額はモジュール数と連携開発の量で決まる
Service Cloudの製品ページのFAQは、価格はサブスクリプション方式で、ユーザー数、必要なモジュール、デプロイメントモデル、統合の複雑さで変わると説明しています。定価の掲載は無く、SAPか認定パートナーの見積もりで決まります。
比べるときは、ライセンスの額だけでなく、ERPとの連携開発、マスタの移行、V2への移行対応まで含めた総額で見てください。SAP CXの費用差は、ライセンスより連携の作り込みの量で開くことが多いからです。
全領域を一括で契約して、稼働が遅れた製品を使わず費用だけが残る型
失敗の1つ目は、スイートの全製品を一度に入れる計画です。営業とサービスとECとマーケティングを同時に立ち上げると、各部門の要件定義が並行して走り、稼働が遅れた製品から使われなくなります。契約の費用だけが毎年残る結果です。
避ける方法は単純で、ERP連携の効果が一番大きい領域から1つ始めます。卸や製造業ならSales CloudかCommerce Cloud、問い合わせの多いB2C企業ならService Cloudが起点の候補です。
ERPのマスタを整えずに移して、システム間で顧客と品目の重複が増える型
2つ目はデータです。S/4HANAの取引先マスタと、営業が個人で持っていた顧客リストを突き合わせずに取り込むと、同じ会社が別の顧客として二重に登録されます。そのまま見積や受注に使えば、売上の集計も与信の判定も崩れます。
取り込む前に、取引先コードの付け方と、どのシステムを顧客情報の正とするかを決めてください。この作業は導入の前段にあたり、製品の設定より時間がかかることも珍しくありません。
SAP CXの採用判断:S/4HANA利用の有無と顧客接点の要件で決める条件
ここまでの事実から判断を示します。見る条件は、ERPがSAPかどうかと、顧客接点の業務をERPの受注や在庫とつなぐ必要があるかどうかの2つです。
S/4HANAを使い、見積から出荷までを顧客接点とつなぐ企業は第一候補
SAP CXを第一候補にするのは、S/4HANAを使っていて、営業やECの画面からERPの在庫、価格、受注の状況を引きたい企業です。B2BのECで取引先別の価格を出したい、営業の見積をそのまま受注に流したい、という要件があれば、同じベンダーの標準連携の利点が効きます。ECC(旧SAP ERP)からの移行を控えている企業は、SAPの2027年問題とS/4HANA移行の判断を解説した記事とあわせて、ERPと顧客接点の刷新の順番を決めてください。
製品の選定、S/4HANAとの連携設計、V1からV2への移行は、一創のSAPコンサルティング・導入支援サービスで支援しています。
ERPがSAP以外で営業管理が主目的なら、Salesforce等で足りる理由
反対に、ERPがSAP以外で、目的が商談の管理と営業の見える化だけなら、SAP CXを選ぶ理由は薄くなります。S/4HANAとの標準連携という一番の利点が使えず、他の製品と同じように個別の連携開発が必要になるためです。この場合は、営業管理の機能と周辺アプリの数で比べたほうが合理的です。
中堅企業で、営業とECのどちらも小さく始めたい場合は、SaaSのCRMとECを組み合わせる構成で足りることが多くなります。SAPの製品でそろえること自体を目的にしないでください。
よくある質問
SAP CXについて、検索でよく調べられている疑問に答えます。
SAP CXとSAP C/4HANAは同じものですか?
同じ製品群を指します。SAPは2018年に顧客接点の製品群をSAP C/4HANAとして発表し、2020年にSAP Customer Experienceへ改称しました。現在の公式サイトではSAP CXまたはCRMおよびカスタマーエクスペリエンスの名で案内されています。古い資料のC/4HANAは、Sales CloudやCommerce Cloudなどの現在の製品に読み替えてください。
SAP CXとS/4HANAは何が違いますか?
受け持つ業務が違います。S/4HANAは会計、販売、購買、在庫、生産などを扱う基幹系のERPです。SAP CXは営業、問い合わせ対応、EC、マーケティングといった顧客接点の業務を扱います。両者は連携して使う前提で作られており、SAP CXの画面からS/4HANAの在庫や注文の状況を参照できます。
SAP CXの製品は個別に導入できますか?
必要な製品を選んで個別に導入することが可能です。Sales Cloud、Service Cloud、Commerce Cloudなどはそれぞれ単独の製品として契約でき、必要な領域だけを選べます。実務では、ERP連携の効果が大きい1領域から始め、効果を確かめてから別の領域を足す進め方が多くなります。全製品の同時導入は要件定義が並行して走るため避けてください。
SAP CXの価格はいくらですか?
公式サイトに定価の掲載は無く、見積もりで決まります。Service Cloudの製品ページは、ユーザー数、必要なモジュール、デプロイメントモデル、統合の複雑さで価格が変わると説明しています。ERPとの連携開発やデータ移行の費用は別にかかるため、ライセンスだけでなく総額で比べてください。
SAP Sales CloudのV1とV2は何が違いますか?
V1はクラシック版、V2は新しい世代の製品で、SAPはAIの機能を組み込んだV2への移行を案内しています。移行はExplore、Plan、Migrate、Launchの4段階で進め、SAPは移行ツールと準備状況の評価を提供しています。ERPとの独自連携をV1で組んでいる場合は、V2で連携を点検し直す作業が必要です。
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