リテンション(retention)は「保持・維持」を意味する英語で、マーケティングでは既存顧客に使い続けてもらうこと、人事では社員に辞めずに働き続けてもらうことを指します。リテンションマーケティングは前者で、継続利用・再購入・契約更新を増やして売上を積み上げる取り組みです。この記事では、分野ごとの意味の違いを先に整理し、離脱が起きる時点別の施策と、日本と米国で解約の引き止めがどこから違法になるかまでをまとめます。
まとめ:リテンションマーケティングの意味と施策を選ぶ順番
リテンションマーケティングは、新規顧客を集めるアクイジションと対になる、既存顧客の離脱を減らす施策群です。サブスクリプションやSaaS、定期購入型のECでは、継続率の改善が翌期以降の売上に反映されます。利益への効果は、粗利率や維持施策の費用も含めて評価します。
- 最初にやるのは測定です。顧客を登録月ごとのコホートに分け、どの月に離脱が集中しているかを特定します。
- 離脱の原因がプロダクトやサポートにあるなら、メールやポイントより先にそこを直します。配信施策は原因の上に乗せる増幅装置にすぎません。
- 施策は離脱の時点で選びます。導入初期はオンボーディング、利用中は同意を取ったメールと通知、更新前は解約予兆の検知、解約後はウィンバックです。
- 解約を難しくして数字を作るのは違法になり得ます。日本では特定商取引法13条の2が通販の解約妨害を禁じ、米国ではAmazonがPrimeの解約導線を理由に25億ドルの和解に応じました。
リテンションの意味:マーケティング・人事・営業・保険での使い分け
「リテンション」で検索すると、上位には人事の記事が並びます。同じ語でも、何を保持するかが分野で違うためです。
| 分野 | 保持する対象 | よく使う語 | 主な指標 |
|---|---|---|---|
| マーケティング | 既存顧客の継続利用 | カスタマーリテンション | リテンション率・チャーン率 |
| 人事 | 社員の在籍 | リテンションマネジメント | 定着率・離職率 |
| 営業・コールセンター | 解約を申し出た契約 | リテンション窓口 | 引き止め成功率 |
| 保険・リスク管理 | 損失を自社で負う部分 | リスクリテンション | 保有額・免責額 |
| IT・データ管理 | ログやデータ | データリテンション | 保持期間 |
「リテンション 営業」は、既存顧客を担当して更新を取る営業と、解約の申し出を受けて引き止める窓口の両方を指します。後者は次の章以降で扱う法規制がそのまま当たる業務です。社員の定着を測る指標は定着率の計算方法と離職率との違いで扱っており、この記事ではマーケティングの意味に絞ります。
リテンションマーケティングの定義とアクイジションとの違い・効果の根拠
カスタマーリテンションは「既存顧客に顧客であり続けてもらうこと」、リテンションマーケティングはそのための施策の総称です。新規獲得(アクイジション)が顧客数の入口を広げるのに対し、リテンションは出口を狭めます。両者の予算配分の考え方はアクイジションとリテンションの違いで詳しく比べています。
「維持率5%向上で利益25〜95%増」の出典と読み方
この数字の出所はBain & Companyです。同社のRigby、Reichheld、Dawsonが2003年にIvey Business Journalへ寄せた論文は、1996年の書籍『The Loyalty Effect』の成果として「A five-per-cent increase in customer retention increases profits by 25-95 per cent.」と書いています(Bain公式PDF)。
理由として挙げられているのは、獲得コストが高いため顧客関係は初期に赤字で、継続して奉仕コストが下がり購入量が増えた後半に利益が出る、という構造です。つまり25〜95%は業種で大きく振れる幅であり、自社に当てはまる保証はありません。利益効果を自社で見積もるには、獲得費用だけでなく、継続後の購入額・粗利・対応費用も確認します。
リテンション率・チャーン率・LTVの関係と月次継続率の複利
3つの指標は同じ現象を別の角度から見たものです。期首の顧客のうち期末に残った割合がリテンション率、離れた割合がチャーン率(解約率)で、継続期間が延びるほどLTV(顧客生涯価値)が伸びます。期間法とコホート法で値がずれる計算の細部はリテンションレートの計算式2種類、業界平均はチャーンレートの業界平均にまとめています。
見落とされやすいのは複利の効き方です。月次の継続率の小さな差でも、それが毎月続くと、12か月後に残る顧客の割合には大きな差が生まれます。
| 月次リテンション率 | 月次チャーン率 | 12か月後に残る割合 |
|---|---|---|
| 95% | 5% | 約54.0% |
| 97% | 3% | 約69.4% |
| 98% | 2% | 約78.5% |
月次継続率95%と97%の2ポイント差は、12か月後の残存割合では約15.3ポイント差になります。新規獲得と比較するときは、維持できる顧客数と新規獲得数に加え、それぞれの施策費用と顧客当たりの利益をそろえて評価します。LTVへの換算式はLTVの計算方法を参照してください。
離脱の時点で選ぶリテンション施策とチャネル
施策の種類から選ぶと、メールもポイントも通知も全部やることになりがちです。顧客が離れる時点を先に特定し、その時点に効く施策だけを選びます。
| 離脱の時点 | 起きていること | 主な施策 | 見る指標 |
|---|---|---|---|
| 導入初期 | 価値を感じる前に離れる | オンボーディング | Day7・Day30継続率 |
| 利用中 | 利用頻度が落ちる | メール・プッシュ通知 | アクティブ率 |
| 更新前 | 他社と比較し始める | ロイヤルティ施策・予兆検知 | 更新率 |
| 解約後・休眠 | すでに離れている | ウィンバック | 復帰率 |
導入初期:初回の価値体験までの手順を減らすオンボーディング
登録直後には、価値を体験する前に離脱する顧客もいます。Amplitudeの継続率分析では開始イベントと再訪イベントを指定できるため、登録後に主要機能を使った顧客と未使用の顧客を分けて確認します。分岐点は商材ごとに決めます。SaaSなら最初の成果物を作るまで、ECなら2回目の購入までを目安に置くと、どこで止まっているかを追えます。初期設定や操作のつまずきが原因なら、ポイントや割引よりも、その障害を取り除く対応を優先します。初期設定の手順を減らす、最初の操作をガイドする、つまずいた顧客にサポートから連絡する、といった導線の改善が先に来ます。
利用中:メールは事前同意、プッシュ通知はAndroid 13以降で許可が前提
利用中の離脱予防の主役はメールとプッシュ通知ですが、どちらも送れる相手が法令とOSで絞られています。広告宣伝のメールは、特定電子メール法3条により、原則として事前に送信を求めたか同意した相手にしか送れません。購入者全員のアドレスへ一斉にキャンペーンを流す前に、同意の記録があるかを確認します。
プッシュ通知は、Android 13(APIレベル33)以降で通常の通知の表示に実行時権限(POST_NOTIFICATIONS)が必要になりました。ただし、OS更新時に条件を満たす既存アプリへ権限が自動付与される場合や、権限の対象外となる通知もあります(Android Developers)。iOSも通知の許可が必要です。Android Developersは、通知が何に使われるか分かる文脈で許可を求めること、アプリに慣れた後(例として3〜4回目の起動)に求める選択肢も示しています。配信内容を顧客ごとに出し分ける設計はOne to Oneメールとセグメント配信の違いで扱っています。
更新前:ロイヤルティプログラムと解約予兆のスコアリング
契約更新や次回購入の前は、顧客が他社と比べ始める時期です。ポイントや会員ランクは、継続するほど得をする仕組みで乗り換えの心理的なコストを上げます。ただし付与率を上げるだけの制度は値引きと同じで、粗利を削ります。満足度の指標(NPSやJCSI)と組み合わせて効果を測る方法は顧客ロイヤルティの測り方を参照してください。
ログイン頻度の低下、主要機能の未使用、問い合わせの増加などを点数化し、閾値を超えた顧客にだけカスタマーサクセスが連絡する解約予兆スコアリングもこの時期の施策です。全顧客に同じ連絡をするより工数が小さく、離脱の理由も聞き取れます。
解約後・休眠:ウィンバック施策の対象の絞り方
解約済み・休眠中の顧客への再アプローチ(ウィンバック)は、離脱理由で対象を絞ります。価格や機能不足で離れた顧客には、改定や新機能の案内が再契約の理由になります。プロダクトに不満を持って離れた顧客に割引だけを送っても、戻った後に同じ理由でまた離れます。再勧誘メールを送る前に、解約後も案内できる同意の範囲と配信停止の申出を確認します。特定電子メール法3条3項は、受信拒否の通知に反する広告宣伝メールの送信を原則として禁じています。
解約の引き止めはどこまで許されるか:日本と米国の規制の線引き
リテンション率は、解約手続きを分かりにくくするだけでも見かけ上は上がります。解約導線を設計するときは、引き止め施策の効果だけでなく、虚偽説明や不当な解約料になっていないかも確認します。日本の規制は通販、通信、消費者契約の3つの法令に分かれています。
特定商取引法13条の2:通販・サブスクの解約妨害と最終確認画面の表示
2022年6月1日に施行された改正で、通信販売に2つの条文が加わりました。13条の2は、申込みの撤回や契約の解除を妨げるため、解除に関する事項について不実のことを告げる行為を禁じます。「今月は解約できない」「解約には違約金がかかる」といった事実と違う説明で引き止めれば、それだけで違反です。
12条の6は、定期購入を含む通販の申込み最終画面に、分量・価格・支払時期・引渡時期・申込みの撤回や解除に関する事項などの表示を義務づけ、申込みであることを誤認させる表示を禁じます(e-Gov法令検索 特定商取引法)。EC側で必要な表示項目は特定商取引法の通信販売の表示義務、継続課金の実装はサブスクリプション課金の仕組みで整理しています。
電気通信事業法施行規則:解約金は月額1か月分、指定携帯事業者の長期利用割引は年1か月分が上限
通信サービスはリテンション施策そのものに数値の上限があります。2022年7月1日施行の改正で、電気通信事業法施行規則22条の2の13の2は、利用者(法人契約を除く)が遅滞なく解約できる措置を講じないことを禁じ、期間拘束の違約金として請求できる額を一月当たりの料金に相当する額までとしました。
総務大臣が指定する携帯電話事業者(電気通信事業法27条の3)には、22条の2の17がさらに細かい条件を課します。違約金と、期間内に解約すると受けられなくなる特典の合計は1,000円まで(2019年10月1日施行)、拘束期間は2年まで、継続利用に応じた割引(いわゆる長期利用割引)は1年当たり1か月分の料金までです(2026年10月時点の条文)。ロイヤルティ施策の上限が省令で決まっている業界がある、という点は他業種でも制度設計の参考になります。
消費者契約法9条:解約料は平均的な損害まで、算定根拠の説明は努力義務
業種を問わず、消費者との契約の解約料は消費者契約法9条1項1号の制約を受けます。同種の契約の解除で事業者に生じる平均的な損害の額を超える部分は無効です。2023年6月1日施行の改正で9条2項が加わり、消費者から求められたときは解約料の算定根拠の概要を説明するよう努めなければならなくなりました。解約料が高額というだけで直ちに無効になるわけではありません。平均的な損害を超える部分の無効と、請求時に説明を求められた場合の説明努力義務を分けて判断します。
米国:Amazon Primeの25億ドル和解とClick-to-Cancel規則の行方
米連邦取引委員会(FTC)は2025年9月25日、Amazonとの間で25億ドルの和解を発表しました。同意のないPrime登録と、解約を極めて難しくしたことが問題とされ、10億ドルの民事制裁金と15億ドルの返金、登録・解約の慣行の停止が求められています(FTCプレスリリース)。
解約を登録と同じくらい簡単にすることを義務づけたFTCのClick-to-Cancel規則(2024年10月16日公表)は、2025年7月8日に第8巡回区控訴裁判所が、必要な予備的規制分析を欠いた手続き上の不備を理由に無効としました。FTCは2026年2月12日に条文を改正前へ戻し、3月13日に規則制定の事前告示(ANPRM)を連邦官報に載せて議論をやり直しています(Federal Register)。規則が無効でも、Amazonの事案のように既存法での摘発は続いています。
リテンション施策の進め方と、施策を打たないほうがよい場面
測る・直す・届けるの順番とコホート分析
施策より先に、既存データで測れるかを確認します。登録・利用・更新のどれを起点に継続を数えるかを決め、観測期間は月額なら数か月、年次更新なら更新日をまたぐ長さに合わせます。登録月ごとに顧客を分けたコホート表を作り、どの月数で継続率が落ちるかを見ます。登録翌月に半分が離れるならオンボーディング、更新月に落ちるなら価格や契約条件が論点です。分析ツールの選び方はコホート分析ツール比較を参照してください。
原因が分かったら、プロダクト・サポート・料金体系を直してから配信施策に移ります。離脱の理由が「使い方が分からない」なのに割引メールを送ると、費用だけが増えて継続率は動きません。
CRM・MAの導入判断:手作業での出し分けが難しくなる段階
顧客数が少なく、表計算ソフトとメール配信ツールで離脱顧客を追えるうちは、CRMやMAは要りません。ツールが必要になるのは、セグメントごとに配信内容を変え、解約予兆のスコアで連絡先を絞るなど、手作業では回らない出し分けが始まった段階です。Bainの前出の論文も、顧客1人ずつに合わせる「segment of one」の施策は非常に高くつき、データに埋もれて使えなくなる失敗を挙げています。導入時の判断材料はCRMとはとマーケティングオートメーション(MA)とは、セグメントの切り方は顧客セグメンテーションにまとめています。
引き止め割引と過剰な接触が逆効果になる条件
リテンションに投資すべきでない顧客もいます。Bainの前出論文は、最も利益をもたらす顧客は誰か、何がその利益を生んでいるかを先に問うよう求めています。引き止め後の粗利から追加の割引額とサポート費用を引いて赤字になる顧客に割引を足すと、維持率は上がっても利益は下がります。解約申し出時だけ大幅値引きを出す運用は、それを知った顧客に、毎回解約を申し出れば安くなると学習させるおそれがあります。
接触頻度にも上限を設けます。メールの配信停止率や通知許可の取り消し率が上がったら、配信頻度と内容を見直します。サービス自体の離脱を早めているかは、接触回数別の継続率や非配信群との比較で確かめます。施策の評価は、継続率と同時に配信停止率と粗利で見ます。
よくある質問
リテンションマーケティングとは簡単に言うと何ですか?
すでに取引のある顧客に使い続けてもらうためのマーケティングです。新規顧客を集めるアクイジションに対し、既存顧客の解約や離脱を減らし、再購入や契約更新を増やすことで売上を積み上げます。代表的な施策はオンボーディング、同意を得たメールやプッシュ通知、ロイヤルティプログラム、解約予兆の検知、解約後のウィンバックです。
ビジネスでリテンションとはどういう意味ですか?
何かを保持・維持することです。マーケティングでは既存顧客の継続利用、人事では社員の定着、営業やコールセンターでは解約を申し出た顧客の引き止め、保険ではリスクを自社で負うこと、IT分野ではデータの保持期間を指します。文脈によって指す対象が違うため、指標もリテンション率、定着率、保持期間と分かれます。
リテンション率とチャーン率はどう違いますか?
同じ期間の同じ顧客群を、残った側から見るか離れた側から見るかの違いです。期首の顧客のうち期末に残った割合がリテンション率、離れた割合がチャーン率で、分母を期首顧客数にそろえ、分子も期首顧客の残存数と離脱数に限定すれば、両者を足すと100%になります。期中に獲得した新規顧客の扱いで値がずれるため、社内で計算方法をそろえてから比較します。
リテンション施策にはどんなものがありますか?
離脱の時点で分けると選びやすくなります。導入初期はオンボーディング、利用中は同意を得たメールとプッシュ通知、更新前はポイントや会員ランクと解約予兆のスコアリング、解約後は離脱理由で対象を絞ったウィンバックです。どの時点で離脱が集中しているかをコホート分析で確かめてから選ぶと、施策の数を絞れます。
解約の引き止めは違法になりますか?
引き止めそのものは違法ではありませんが、方法によっては違法です。通信販売では特定商取引法13条の2が、解除を妨げるための不実の説明を禁じています。通信サービスでは電気通信事業法施行規則が、遅滞なく解約できる措置と違約金の上限を定めています。解約料は消費者契約法9条により平均的な損害を超える部分が無効です。