バックキャスティング(backcasting、バックキャスト)とは、実現したい未来の到達点を先に決め、そこから現在へさかのぼって「いつまでに何が済んでいなければならないか」を割り出す計画法です。語は1982年にJohn B. Robinsonがエネルギー政策の分析法として名付けました。現状のデータから将来を見積もるフォアキャスティング(フォアキャスト)とは、出発点と問いの立て方が逆になります。
本記事では、語の由来と定義、フォアキャスティングとの違い、4ステップのやり方を整理したうえで、どんな問題に向き、どんな問題には向かないかを、この手法の理論を整理したDreborg(1996)の5条件で判断できるようにします。
まとめ:バックキャスティングの要点
- 意味:望ましい未来の到達点を先に置き、現在へ逆算して道筋と施策を決める計画法。「何が起こりそうか」ではなく「望む未来にどう到達するか」を問う
- 由来:1970年代のエネルギー研究(Amory Lovins)で使われた方法に、Robinsonが1982年に「backcasting」と名付けた
- フォアキャスティングとの違い:フォアキャストは過去と現在のデータから将来を予測する。前提となるトレンドそのものが問題の一部なら、バックキャストを使う
- やり方:①到達点を年と数値で決める ②現状とのギャップを測る ③リードタイムから中間目標へ逆算する ④実行し定期的に前提を見直す
- 向かない場面:1〜2年の予算や需要予測のように、現状の延長で答えが出る問題。ここはフォアキャストで足りる
バックキャスティングの意味と語の由来
バックキャスティングの定義と望ましい未来への到達経路
Robinsonは、バックキャスティング分析の最大の特徴を「どの未来が起こりそうかではなく、望ましい未来にどうすれば到達できるかに関心を持つ点」だと述べ、明示的に規範的(normative)な手法だと位置づけました。望ましい未来の終点から現在へ逆向きにたどり、その未来が物理的に実現可能か、そこに到達するにはどの政策手段が必要かを確かめる、という定義です(Dreborg 1996による引用)。
特徴は、予測された未来ではなく望ましい未来を検討の出発点にすることです。2050年の状態を先に決め、その状態と矛盾しない現在の行動を探します。需要や技術の見通しといった部分的な論点には予測も使いますが、Dreborgはそれを「もしこうなったら」型の補助的な検討と位置づけています。到達点は「好ましいかどうか」という価値判断で選ぶため、関係者の合意形成が手法の一部に組み込まれます。
語の由来:Lovinsの1976年論文とRobinsonの1982年の命名
Dreborgの論文「Essence of backcasting」(Futures誌 第28巻第9号、1996年)は、backcastingを「Robinsonが導入した語」とし、方法そのものは「エネルギー未来研究でLovinsが最初に用いたとみられる」と書いています。
| 年 | 出来事 | 掲載先 |
|---|---|---|
| 1976年10月 | Lovinsが今後50年の2つのエネルギー経路を対比 | Foreign Affairs 55巻1号 |
| 1970年代〜 | スウェーデンでSteenらが同様の手法でエネルギー将来研究 | Dreborg 1996の記述 |
| 1982年12月 | Robinsonが「Energy backcasting」を提案 | Energy Policy 10巻4号 337-344頁 |
| 1989年 | Karl-Henrik RobertがThe Natural Stepを開始 | スウェーデン |
| 1996年 | Dreborgが手法の理論と適用条件を整理 | Futures 28巻9号 813-828頁 |
| 2007年2月 | 国立環境研究所らが2050日本低炭素社会シナリオを公表 | 日本 |
日本の環境分野では、後述する国立環境研究所などの「2050日本低炭素社会」シナリオで、バックキャスティングの採用が明示されています。「1970年代に環境分野で提唱された」という説明はおおむね正しいものの、語の命名は1982年です。
バックキャスティングとフォアキャスティングの違い
フォアキャスティング(forecasting)は、過去の実績と現在のトレンドから将来を見積もり、その見積もりに沿って計画を立てる方法です。売上の推移から来期の予算を組む、出荷実績から需要を予測する、といった通常の計画はこちらに当たります。
| 比較軸 | バックキャスティング | フォアキャスティング |
|---|---|---|
| 出発点 | 望ましい未来の到達点 | 現在と過去のデータ |
| 中心の問い | どうすれば到達できるか | 何が起こりそうか |
| 性格 | 規範的(価値判断で到達点を選ぶ) | 記述的(傾向を延長する) |
| 期間の考え方 | 構造変化を検討できる長期 | 予測の前提が有効な期間 |
| トレンドの扱い | 断ち切る対象になりうる | 予測の土台 |
| 典型的な用途 | 脱炭素目標、長期ビジョン | 年度予算、需要予測 |
両者は二者択一ではありません。到達点と中間目標はバックキャストで決め、直近1〜2年の施策の効果や予算はフォアキャストで見積もる、という組み合わせを本記事では勧めます。日本語では前者を「逆算思考」、後者を「積み上げ思考」と呼ぶこともあります。
中期経営計画のように3〜5年の計画では、長期ビジョンから逆算した目標と、実績から積み上げた見込みの差がそのまま「埋めるべき課題」になります。この差の扱い方は中期経営計画の作り方と年度予算への落とし込み方で詳しく説明しています。
バックキャスティングが向く問題と向かない問題:Dreborgの5条件
Dreborg(1996)が挙げた5つの条件
Dreborgは、解決すべき大きな社会問題があることを前提に、次の性質を持つ問題ほどバックキャスティングが有利だとしました。
- 問題が複雑で、社会の多くの部門・階層に影響する
- 大きな変化が必要で、今の秩序の中での小さな改善では足りない
- 支配的なトレンドそのものが問題の一部である(予測の土台にしているトレンドが原因側にある)
- 市場では十分に処理できない外部性が大きい
- 意図的な選択の余地が生まれるほど時間軸が長い
判断に最も効くのは3番目です。化石燃料の消費増というトレンドを延長して予測すれば、排出量も増える前提の計画しか出てきません。問題の原因となるトレンドを変わらない前提として扱うと、その転換に必要な施策を検討しにくくなります。企業に置き換えると「主力製品の市場縮小」「規制による事業前提の消滅」がこれに当たります。
バックキャスティングの不向きな場面と失敗例
5条件は、バックキャスティングが有利になる問題の特徴であり、適用の必須条件ではありません。今期の販売計画、在庫の発注量、来年度の採用人数のように、1〜2年先を現状の延長で十分に見積もれる問題では、実績に基づくフォアキャストを基本とし、予測値と実績値の差を確認します。到達点の議論に時間をかけても、得られる結論は実績の延長と変わりません。
よくある失敗は、名前だけのバックキャストです。前年比5%増を10年積み上げた数字を「2035年のありたい姿」と呼び直しても、それは予測を逆向きに書いただけで、トレンドを断ち切る施策は1つも出てきません。到達点を決めたあと、その望ましさと実現可能性を検討してください。現状の延長で届く場合は、バックキャストを使う必要性を見直します。
バックキャスティングのやり方:4ステップ
ステップ1:年・指標・対象範囲による到達点の定義
到達点は「環境に優しい会社」のような形容詞ではなく、年と数値と対象範囲で書きます。「2035年度に、国内3工場の購入電力に由来するCO2排出をゼロにする」なら、後の逆算ができます。経営指標で書くなら、到達点をKGI、中間目標をKPIとして分解すると管理しやすくなります(KGI・KPIの意味と設定方法)。
ステップ2:共通指標による現状測定とギャップの把握
到達点と同じ指標・同じ範囲で現状を測ります。ステップ1の設例なら、国内3工場の購入電力由来CO2排出量を集計し、燃料の直接燃焼による排出量と区別します。差は「量」だけでなく、何が足りないか(技術、設備、契約、人材、制度)に分けて書き出します。原因を枝分かれさせて整理するなら、ロジックツリーの作り方の手順がそのまま使えます。
ステップ3:準備期間に基づく中間目標の逆算
逆算で最も見落としやすいのは、施策ごとの準備期間です。到達年から各施策の準備期間を差し引くと、「いつまでに着手していなければ間に合わないか」が決まります。按分(10年でゼロなら毎年10%ずつ減らす)では、準備に時間がかかる施策の着手が遅れます。
次の表はステップ1の到達点を使った設例です。準備期間は説明のために置いた前提で、実際の値は各社の条件で見積もってください。
| 期限 | 済んでいる必要がある状態 | 逆算の根拠(設例の前提) |
|---|---|---|
| 2035年度 | 購入電力由来CO2ゼロ | 到達点 |
| 2033年度 | 外部の再エネ電源から受電開始 | 2年分の運転実績で不足量を確認 |
| 2030年度 | 電力購入契約を締結 | 電源の建設に3年かかると仮定 |
| 2028年度 | 屋根置き太陽光の稼働・省エネ投資完了 | 自家消費分を確定してから外部調達量を決める |
| 2026年度 | 工場別の電力使用量を月次で計測 | 以降の判断の土台 |
この並べ方にすると、2035年の目標でも「今年度中に計測の仕組みを入れる」という今日の作業が決まります。逆算の出口は、必ず今年度の行動まで降りてきている必要があります。
ステップ4:計画の実行と前提の定期的な見直し
本記事では年1回を経路の見直しの目安とし、到達点の実現可能性や関係者の合意が変わった場合は、到達点も再検討します。見直しでは、ステップ3で置いた前提(準備期間、技術のコスト、規制)が変わっていないかを確かめ、変わっていれば中間目標を引き直します。日々の改善はPDCAサイクルで回し、年1回の見直しで経路そのものを点検する、と役割を分けると混乱しません。
The Natural StepのABCDプロセス:原則から逆算する方法
4つのシステム条件:持続可能な未来像を定める原則
到達点を具体的な姿として描けないときに使えるのが、スウェーデンのがん研究者Karl-Henrik Robertが1989年に始めたThe Natural Step(ナチュラル・ステップ)の考え方です。未来の「絵」ではなく、持続可能な社会が満たす条件から逆算します。現行の4つのシステム条件は次のとおりです。
- 自然の中で、地殻から掘り出した物質の濃度が増え続けない
- 自然の中で、社会が作り出した物質の濃度が増え続けない
- 自然が物理的な手段で劣化し続けない
- 人々の健康・影響力・能力・公平性・意味を損なう構造的な障害がない
条件で到達点を決めると、技術や市場が変わっても到達点を書き換えずに済みます。「2040年にこの製品を出す」という姿で決めた到達点は、技術の進み方次第で古くなります。
ABCDプロセスの4段階と各段階の役割
The Natural Stepは、バックキャストを次の4段階で進めます。
- A(Awareness):持続可能性の定義を共有し、将来の成功像を組み立てる
- B(Baseline assessment):4条件に照らして、組織の主要な物質・エネルギーの流れと影響のギャップを分析する
- C(Creative solutions):現状と成功像の差を埋める解決策を出す
- D(Devise a plan):優先順位の問いで施策を絞り、柔軟性を保ちながら実行の順序を決める
前章の4ステップとの違いは、Aで持続可能性の原則を共有し、それを満たす将来の成功像を描く点と、Dで「その施策は次の一歩につながるか」を優先順位の基準に入れる点です。脱炭素や資源循環のように、10年後の技術が読めないテーマほどこの形が向きます。
バックキャスティングの事例:国の低炭素シナリオとトヨタ環境チャレンジ2050
国立環境研究所「2050日本低炭素社会」シナリオ(2007年)
国立環境研究所などの「2050日本低炭素社会」シナリオチームは、対策を織り込んだ2050年の望ましい将来を想定し、それを実現する経路を考える「バックキャスティング」に基づくシナリオアプローチを採用したと明記しています。2007年2月の報告(2008年6月改訂)は「我が国が2050年までに温室効果ガスの70%削減を達成し、豊かで誇りのもてる低炭素社会を構築することは可能である」と結論づけました。この削減率の基準年は1990年です。また、2008年5月には到達のための「低炭素社会に向けた12の方策」を公表しました。
到達点を先に置き、そこから必要な対策の組み合わせを示した点で、教科書的なバックキャストの事例です。国としては2020年10月26日の所信表明演説で「2050年カーボンニュートラル」が宣言され、2025年2月18日に閣議決定された地球温暖化対策計画は、2035年度に2013年度比60%、2040年度に73%の削減という中間目標を置いています。長期の到達点から中間目標を刻む構造は同じです。
トヨタ環境チャレンジ2050(2015年発表)
トヨタ自動車は2015年10月14日、2050年を見据えた「トヨタ環境チャレンジ2050」を発表しました。発表時の6つのチャレンジは次のとおりです。
| チャレンジ | 発表時の2050年目標 |
|---|---|
| 1 新車CO2ゼロチャレンジ | 新車平均走行時CO2を2010年比90%削減 |
| 2 ライフサイクルCO2ゼロチャレンジ | 材料・部品・製造を含むライフサイクル全体でCO2ゼロ |
| 3 工場CO2ゼロチャレンジ | グローバル工場のCO2排出ゼロ |
| 4 水環境インパクト最小化チャレンジ | 地域事情に応じた水使用量の最小化と排水管理 |
| 5 循環型社会・システム構築チャレンジ | 資源循環の仕組みづくり |
| 6 人と自然が共生する未来づくりへのチャレンジ | 自然共生の取り組み |
名称に「ゼロ」とあっても、チャレンジ1の数値は「走行時CO2を2010年比90%削減」で、完全なゼロではありません。事例を引用するときは名称だけで判断せず、目標値まで確認してください。発表時には、2050年の90%削減に加え、2020年のグローバル新車平均走行時CO2排出量を2010年比22%以上削減する中間目標も示されました。長期目標と当面の目標を併せて示した事例です。
バックキャスティングのデメリットと対策
到達点と現状の差が大きい場合は、中間目標と実行体制を具体化する必要があります。計画時に確認する課題を、対策と合わせて挙げます。
- 到達点が抽象的で逆算できない:到達条件が曖昧だと、中間目標を設定しにくい。数値目標を使う場合はステップ1の年・指標・範囲を明示し、原則から逆算する場合は各施策が原則に近づくかを確認する
- 差が大きすぎて現場が諦める:成果が出るまでの期間が長いため、意欲が続きにくい。逆算した中間目標を1年単位まで刻み、達成を確認できる単位にする
- 前提が古くなる:技術のコストや規制が変わると経路が成り立たなくなる。前提を一覧にして年1回見直す
- 短期の数字と衝突する:長期投資では資金支出と費用計上の時期が異なる場合がある。資金繰りと損益への影響を分けて見積もり、年度予算に長期投資の枠を確保する
到達点の設定後も、中間目標の進捗、前提の変化、予算との整合を継続して確認する必要があります。到達点を描く会議より、逆算した中間目標を誰がいつ確認するかを決める会議の方が、計画の寿命を左右します。
よくある質問
バックキャストとバックキャスティングは違う意味ですか?
この計画法の文脈では、日本語の「バックキャスト」と「バックキャスティング」は同じ手法を指し、英語のbackcastingに当たります。back castingと2語で書かれることもありますが、学術文献ではbackcastingと1語で書くのが一般的です。対になる語はフォアキャスト(forecast)とフォアキャスティング(forecasting)で、予測を意味します。
逆算思考とバックキャスティングは同じですか?
考え方の向きは同じです。逆算思考はゴールから必要な行動をさかのぼる日常語で、個人の勉強計画にも使われます。バックキャスティングは、望ましい未来を到達点として選ぶ価値判断と、その実現可能性の検討までを含む計画法を指します。組織で使うときは、到達点を誰がどう決めたかまで記録しておくと、後の見直しで経路を引き直しやすくなります。
バックキャスティング思考の具体例は?
身近な例は資格試験です。試験日を到達点に置き、模試を受ける日、過去問に入る日、テキストを1周し終える日を、試験日から逆にさかのぼって決めます。今日やるべき範囲は、その最後に決まります。「現在の学習ペースから完了日を予測する」のがフォアキャストに対応します。「試験日に必要な習熟度を定め、そこから今日の学習内容を逆算する」と、バックキャストの考え方を日常の計画に応用できます。
何年先を到達点にすればよいですか?
決まった年数はありません。Dreborgの5条件では「意図的な選択の余地が生まれるほど時間軸が長いこと」が条件の1つで、国立環境研究所のシナリオは2007年から43年先の2050年、トヨタは2015年から35年先の2050年を置きました。企業の経営計画では、設備更新や人材育成に必要な期間を踏まえて到達年を設定し、3〜5年の中期計画をその中間目標として逆算すると、長期と中期の計画がつながります。
SDGsとバックキャスティングはどう関係しますか?
2015年に国連で採択されたSDGsは、2030年に達成すべき17の目標を先に置いており、到達点が先に決まっている点でバックキャストと相性がよい枠組みです。企業がSDGsの目標を自社の計画に取り込むときは、2030年の目標から逆算して今の施策を決めることになります。17の目標の中身はSDGsの17の目標一覧と達成状況で確認できます。