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違背実験とは?読み方・意味と具体例、ガーフィンケル原典の数値とエスノメソドロジー

違背実験とは?読み方・意味と具体例、ガーフィンケル原典の数値とエスノメソドロジー

違背実験とは、日常生活で当たり前とされている社会規範をあえて破り、そのとき周囲に何が起きるかを観察することで、普段は意識されない秩序の成り立ちを浮かび上がらせる社会学の試みです。読み方は「いはいじっけん」。考案したのはアメリカの社会学者ハロルド・ガーフィンケルで、エスノメソドロジーという研究領域の出発点になった手続きとして知られています。

ただし、原典にあたると見えてくる前提が2つあります。ガーフィンケル自身が原典で「私の研究は厳密に言えば実験的なものではない」と断っていること、そして代表例として広まっている「エレベーターで全員が扉に背を向けて立つ」が、1964年の原典論文に登場しないことです。この記事では1964年に発表された原典論文にあたり、具体例と実際の数値を確認します。違背実験が何を明らかにしようとしたのか、エスノメソドロジーの研究史のなかでどう位置づけられ、その後どう受け継がれたのかまでを整理する構成です。

まとめ:違背実験の意味・具体例・位置づけの要点

細部に入る前に、原典で確認できた要点を先に示します。

  • 違背実験(いはいじっけん)とは、当たり前の社会規範をあえて破り、周囲の反応から日常の秩序を支えている暗黙の期待を明らかにする手続きです。考案者はハロルド・ガーフィンケル。
  • ガーフィンケルは原典で「私の研究は厳密に言えば実験的なものではない。それはデモンストレーションである」と明記しています。仮説を検定する実験ではありません。
  • 原典に記録された課題は、下宿人として眺める、下宿人として振る舞う、発言の意味を問い返す、定価品を値切る、三目並べの手をずらす、相手の言葉の裏を疑う、相手に顔を近づける、など複数。この記事では学生数や試行数が明記されている6つを扱います。
  • 報告に並んだ感情は、驚き、戸惑い、衝撃、不安、きまり悪さ(恥ずかしさ)、怒りです。疑われた側は説明を求め、答えが返らなければ怒る。疑った側はきまり悪さを感じる。ガーフィンケルはそう予測し、前者はそのとおりになりましたが、親しい相手に試した学生からは恥ずかしさの報告がほとんど出ませんでした。
  • 値切る課題では、学生は恐れと恥を、店員は不安と怒りを示すはずだという予測が外れました。2回以上値切った学生の大半が3回目には課題を楽しんでおり、店員もほとんど動じていません。
  • 「エレベーターで全員が扉に背を向けて立つ」は1964年の原典論文に登場しません。出どころは1962年のテレビ番組の企画で、取り出そうとしているものも別です。
  • 違背実験は、エスノメソドロジーの基盤となる「信頼」「背後期待」を取り出すための手続きでした。研究の主軸はその後、実際の相互行為をそのまま記述する方向へ移りましたが、人とロボットのやりとりを調べる研究などで、ガーフィンケルの試みを受け継ぐ動きもあります。
原典の課題 破った規範 報告された規模
下宿人として眺める 家族を家族として見るという構え 33人が報告
下宿人として振る舞う 家庭内のくだけた関係 49件中9件が不成立
発言の意味を問い返す 言わなくても分かるという了解 23人が25事例
相手の言葉の裏を疑う 相手は見たとおりの人だという信頼 35件
定価品を値切る 定価は交渉しないという慣行 68人と67人
三目並べの手をずらす ゲームの規則 247試行

違背実験の読み方と「違背」という言葉の意味

読み方は「いはいじっけん」、違背は規則や命令にそむくこと

違背実験の読み方は「いはいじっけん」です。「違背」はデジタル大辞泉で「規則・命令などにそむくこと。違反。」と説明されています。つまり語義としては違反とほぼ同じで、違背実験を「規範をあえて破る実験」と読み下しても間違いではありません。

同じ項目には名詞のほかに「スル」の印があり、「違背する」というサ変動詞として使えます。大辞泉の用例は「指令に違背する」。否定形の「違背しない」は「そむかない」「反しない」という意味で、後で見る公有水面埋立法の第4条第1項第3号は、埋立地の用途が国や地方公共団体の計画に「違背セザルコト」、つまり反しないことを、都道府県知事が埋立てを免許する条件の1つに挙げています。

英語では breaching experiment と表記されます。日本語の文献では違背実験のほか、侵犯実験や違反実験と訳されることもありますが、社会学の教科書類で定着しているのは違背実験です。

「違背」と「違反」の使い分け:条文に残るのは義務や命令の側

デジタル大辞泉の語釈どおり、違背と違反は意味の上でほぼ重なります。差が出るのは使われる場面のほうです。「違背」は「義務に違背する」「法令の規定に違背して」のように、法令の条文などで使われる硬い表現です。

実際、e-Gov法令検索のAPI(v2)で現行法令の条文本文を「違背」で検索したところ、該当したのは7法令・10か所でした(2026年8月26日と10月14日に実行し、同じ結果)。地方財政法の2か所は同じ第26条の第1項と第2項なので、条で数えると9か条です。内訳は、砂防法(明治30年法律第29号)、鉄道営業法(明治33年法律第65号)、公有水面埋立法(大正10年法律第57号)という明治から大正期の法律に加え、昭和22年法律第72号(日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律)、墓地、埋葬等に関する法律(昭和23年法律第48号)、地方財政法(昭和23年法律第109号)、鉱業等に係る土地利用の調整手続等に関する法律(昭和25年法律第292号)と、戦後の法律にもまたがっています。

たとえば鉄道営業法には「鉄道係員職務上ノ義務ニ違背シ又ハ職務ヲ怠リ旅客若ハ公衆ニ危害ヲ醸スノ虞アル所為アリタルトキハ」という条文があり、片仮名文語体のまま現在も効力を持っています。地方財政法のほうは「法令の規定に違背して」と現代語で書かれた例です。今回確認した10か所は、いずれも義務や命令、法令の規定、計画や許可の条件にそむく場面で使われていました。日常の行為を言うなら「破る」「反する」で足ります。こうした文語的な硬さが、「違背実験」という訳語の硬さにもつながっています。

考案者ハロルド・ガーフィンケルの経歴:シュッツの現象学から違背実験へ

ハロルド・ガーフィンケルは1917年10月29日に生まれ、2011年4月21日に亡くなったアメリカの社会学者です。生没日は、科学社会学者マイケル・リンチが没年に『Social Studies of Science』41巻6号へ寄せた追悼論文の題名にそのまま記されています。

ハーバード大学でタルコット・パーソンズのもとで学び、1952年に博士論文「The Perception of the Other: A Study in Social Order」をまとめました。プリンストン大学の学生新聞『The Daily Princetonian』の訃報によると、第二次世界大戦中は非戦闘員として陸軍に勤め、プリンストン大学とオハイオ州立大学に短く在籍したのち、1954年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の社会学部に加わりました。

違背実験との関係で押さえておきたいのは、師にあたるパーソンズと、現象学者アルフレッド・シュッツの2人です。パーソンズは、人々が共有された規範を内面化しているから社会の秩序が保たれる、と説明しました。ガーフィンケルはこの説明に対し、人々が当たり前とみなしている前提の側から秩序を捉え直そうとし、その前提の中身をシュッツの「日常生活の態度」の議論から借りています。1964年の原典論文は脚注でシュッツを繰り返し引き、本文でも「シュッツによれば」と前置きして、人が他人と共有していると想定している前提を列挙しました。違背実験は、この前提を一つずつ外したら何が起きるかを見るための手続きです。値切る課題がパーソンズの「定価一物一価の規則」を標的にしているのも、この対立の延長にあります。

ガーフィンケル自身の但し書き:実験ではなくデモンストレーション

違背実験の原典は、ガーフィンケルがUCLA在籍中の1964年に『Social Problems』誌に発表した論文「Studies of the Routine Grounds of Everyday Activities」(11巻3号、225ページから250ページ)です。これは1967年の著書『Studies in Ethnomethodology』第2章のもとになった論文にあたります。

この論文の227ページ、課題の報告に入る直前に、手続きの性格を断る但し書きがあります。原文はこうです。「Despite their procedural emphasis, my studies are not properly speaking experimental. They are demonstrations, designed, in Herbert Spiegelberg’s phrase, as “aids to a sluggish imagination.”」

手続きを重視してはいるが、自分の研究は厳密に言えば実験的なものではなく、デモンストレーションである。しかもそれは、哲学者ハーバート・シュピーゲルバーグの言い回しを借りれば「怠惰な想像力を手助けするもの」として設計されている。つまり「怠惰な想像力を手助けするもの」という有名な表現は、ガーフィンケル自身の造語ではなく借用句です。

この位置づけは、日本語の研究文献でも同じように確認されています。秋谷直矩氏は『認知科学』17巻3号(2010年、525ページから535ページ)の展望論文「デザインとエスノメソドロジー」で、違背実験は「怠惰な想像力を手助けするもの」(Garfinkel, 1967: 38)であって、「仮説に対するテストではないし、よく知られた社会心理学的実験の類に似たプラクティカルな冗談でもない」(Lynch, 1993: 140)と整理しました。なお本記事で引く1967年の著書とリンチの文言は、この秋谷論文が引用したかたちで参照しています。

違背実験を「社会心理学の実験」と同じ枠で説明してしまうと、この但し書きが丸ごと抜け落ちます。統計的な仮説検定を目的とする研究ではありません。後で見る値切る課題や言葉の裏を疑う課題のように、予測を立てて結果と照らし合わせた課題はありますが、目的は見慣れた世界の見慣れなさに気づかせることでした。

原典に記録された違背実験の具体例と数値

原典論文には、学生に課した具体的な手続きと、報告された人数や試行数がそのまま書かれています。ここでは人数や試行数が明記されている6つを取り上げます。

下宿人として自宅を眺める課題:33人が報告

学部生に対して、自宅で15分から1時間、自分がその家庭の下宿人であると想定しながら家の中の出来事を眺めるよう課題が出されました。重要なのは、そう振る舞ってはならないと指示されている点です。あくまで見方だけを変える課題でした。33人が経験を報告しています。

学生の報告では、家族が「背の低い、ずんぐりした男性が家に入ってきて、私の頬にキスをし『学校はどうだった』と尋ねた」といった調子で描写されました。人物も関係も活動も、来歴や当人たちにとっての意味を抜きにして書かれます。ガーフィンケルはこれを、多くのものを脇に置いた「鍵穴からの観察者」の記述だと評しました。

下宿人として振る舞う課題:49件中9件が不成立

次に、同じ15分から1時間を、下宿人であると想定したうえで実際にそう振る舞うことが求められました。指示は、慎重かつ礼儀正しく振る舞う、立ち入った話をしない、あらたまった呼び方をする、話しかけられたときだけ話す、というものです。

結果は49件中9件が不成立でした。内訳は、課題そのものを拒否した5件と、試みたが「うまくいかなかった」4件。拒否した学生のうち4人は怖くてできないと述べ、5人目は心臓に持病のある母親を動揺させる危険を避けたいと答えています。うまくいかなかった4件のうち2件は、家族が最初から冗談として扱い、学生が態度を変えずに続けても取り合いませんでした。

残る5分の4のケースでは、家族は唖然としました。彼らはこの奇妙な行動を何とか理解可能なものにしようとし、状況をいつもの見え方へ戻そうと懸命に動きます。報告書は、驚き(astonishment)、当惑(bewilderment)、衝撃(shock)、不安(anxiety)、きまり悪さ(embarrassment)、怒り(anger)の記述で埋まっていました。家族からは「どうしたの」「何があったの」「クビになったの」「病気なの」「何をそんなに偉そうにしているの」といった説明の要求が相次ぎます。

冷蔵庫から軽食をとってよいか母親に尋ねた学生は、友人たちの前にいた母親にひどく恥ずかしい思いをさせました。「軽食をとっていいかですって。何年もここで勝手につまんできたじゃないの。どうしちゃったの」。話しかけられたときしか口をきかない娘に激怒し、無礼で反抗的だと金切り声で責め立てた母親もいます。家族が持ち出した説明、たとえば勉強のしすぎ、病気、婚約者との喧嘩を学生が受け流すと、傷ついた家族の側には、身を引く、学生を孤立させようとする、報復する、非難するといった反応が見られました。

発言の意味を問い返す課題:23人が25事例

知人や友人と普通に会話しながら、変わったことをしているそぶりを見せずに、ありふれた発言の意味を明確にするよう迫る課題です。23人の学生が25の事例を報告しました。

原典に載っている会話はこう始まります。「やあレイ、ガールフレンドの具合はどう」に対して「具合ってどういう意味。身体のこと、それとも精神のこと」と返す。相手は不機嫌になり、一度は「いいから、忘れてくれ」と話題を変え、それでも同じ調子で問い返されると「どうかしたのか、具合でも悪いのか」で会話が終わります。テレビを見ながら「疲れた」と言った夫に「どう疲れたの。身体、それとも精神、それとも退屈しているだけ」と問い返した例も収められています。

誰もが当たり前に済ませている「言わなくても分かる」という了解を、少し押しただけで会話が立ち行かなくなる。この課題はそのことを示しました。

相手の言葉の裏を疑う課題:35件中、見知らぬ相手は2件だけ

学生は誰かと会話をしながら、相手の発言には隠れた本当の動機があり、自分をだまそうとしていると想定して振る舞うよう指示されました。35件の報告のうち、見知らぬ人を相手に選んだのは2件だけです。大半の学生は事態が手に負えなくなるのを恐れ、友人やルームメイト、きょうだい、家族を選び、それでも頭の中で何度も予行演習をしてから臨んでいます。

疑いの態度を保つこと自体が難しく、「作り物のゲームをしている」「役になりきれない」「次に何をすればいいか分からない」という報告が相次ぎました。話題がささいすぎて、相手がどう自分をだましているのか想像もできなかったという学生もいます。

見知らぬ相手に試した2人は、予想どおり強いきまり悪さを味わいました。バスの運転手に目的の通りを通るか何度も念を押した学生は、乗客全員に聞こえる声で「一度言ったでしょう。何回言わせるんですか」と怒鳴られ、「バスの後ろへ縮こまって、座席にできるだけ低く沈み込んだ。すっかり怖気づき、顔から火が出そうで、課題がひどく嫌になった」と書いています。

ある主婦の学生は夕食後、夫に前の晩の残業と、先週ポーカーをしていたという話の真偽を、何をしていたのかは尋ねないまま問いただしました。夫は皮肉で返し、最後は「で、何の冗談なんだ」と聞きます。彼女が実験だと打ち明けると夫は不機嫌に立ち去り、その晩はずっと疑わしげなままでした。翌日、夫は動揺していたことを認め、平静を保とうと決めたこと、妻の「疑り深い性格」への衝撃などを、感じた順に挙げています。説明しても解けないわだかまりが残った例です。

定価品を値切る課題:68人と67人で外れた予測

ガーフィンケルは学生に、定価の付いた商品を値切るという課題を出しました。破る対象は、タルコット・パーソンズが契約という制度の構成要素と見なした「定価一物一価の規則」です。ちなみに原典がこの点で参照している文献は、1959年の未刊行の謄写版原稿でした。

設計上の予測はこうでした。この規則が内面化されているなら、学生は課題を前にして恐れと恥を感じ、やり終えた後も恥じ入るはずだ。反対に店員の側からは、不安と怒りが多く報告されるはずだ。

実際の手続きは、68人が2ドル以下の商品1点について1回だけ試み、別の67人が6回の連続試行(2ドル以下を3回、50ドル以上を3回)を行うというものです。結果は予測から大きく外れました。

  • 1回だけの組は20%が実行を拒否するか中断したのに対し、6回組は3%にとどまりました。
  • 恐れが最も強く出たのは、課題を前にした段階と、最初に店員へ近づく段階。1回だけの組では、手順が進むにつれて不快を報告する人数が減っていきます。
  • 2回以上値切った学生の大半が、3回目には課題を楽しんでいたと報告しました。
  • 高額商品を値切るほうが低額商品より不快感が少ないという報告が大半でした。
  • 6回を終えた学生の多くは、定価の売り場でも値切れば有利な結果になりうると「驚き」をもって学び、今後もそうするつもりだと述べています。

店員の側はどうだったか。ガーフィンケルは、店員は現在の理論が想定するのとは違う意味で判断力を欠いていたか、あるいは十分に判断力を欠いてはいなかったと書き、「少数が多少の不安を見せ、ときおり怒る者がいた」とだけ記録しています。

三目並べの手をずらす課題:247試行の半数

学生は年齢や性別、親しさの異なる相手と三目並べを行い、相手に先手を打たせたうえで、その印を消して別のマスへ動かし、何事もないかのように自分の手を指すよう指示されました。247試行のうち半数で、相手はこの一手を、隠れた、しかし明確な意味を持つ振る舞いとして受け取ったと報告されています。

相手は、実験者が口には出さない「何か」を狙っていると確信しました。口説いてきたのだ、こちらの頭の悪さを当てこすっているのだ、侮辱の身振りだ、といった解釈です。規則違反そのものより、その違反に意味を読み込もうとする働きのほうが強く現れました。

エレベーターの例が原典に無い理由:1962年のテレビ番組という出どころ

違背実験の代表例として、まとめ記事や生成AIの回答で「エレベーターで全員が扉に背を向けて立つ」が挙げられることがあります。しかし、1964年の原典論文の全文を機械検索しても elevator という語は1度も出てきません。

この場面には別の出どころがあります。アメリカのテレビ番組『Candid Camera』の「Face the Rear」という企画です。MITの公開講義(OpenCourseWare)の教材一覧では、1962年の回として紹介されています。エレベーターに乗り合わせた仕掛け人が全員後ろを向き、何も知らない乗客が向きを変えていく様子を撮影したもので、社会心理学の同調研究の文脈で長く引用されてきました。ガーフィンケルの報告に由来する場面ではありません。

見ようとしているものも違います。違背実験が追うのは、規範を破られた側が驚き、説明を求め、状況を元へ戻そうとする過程です。対してエレベーターの企画が示すのは、同じ場に居合わせた人が多数派に合わせて自分の振る舞いを変える側面です。似た見た目の場面でも、取り出す対象が別だと考えたほうが正確です。

集団や権威の圧力で個人が自分の判断を曲げる過程そのものを扱った古典としては、ミルグラム実験(効果)とは?服従率65%の中身と条件別データをわかりやすく解説があります。こちらは権威への服従を扱ったもので、エレベーターの企画が示す多数派への同調とは近い位置にある研究です。

違背実験が明らかにしたもの:背後期待と「文化的判断力喪失者」批判

背後期待:使われているのに気づかれない前提

では、これらの課題は何を取り出すためのものだったのか。秋谷氏の整理によれば、ガーフィンケルの関心は「社会的に標準化された/されている『見られているが、気づかれていない』、期待された、日常場面の背景的特徴」(Garfinkel, 1967: 36)に向けられていました。誰もが使っているのに、使っていることに気づかれない前提。これが背後期待と呼ばれるものです。

背後期待は、守られている間は当事者にほとんど意識されません。ガーフィンケルはこれを見えるようにするために2つの道を使いました。1つは、振る舞いは変えずに、下宿人の視点で自宅を眺めるといった見方の切り替え。もう1つは、実際に期待を破り、相手が困惑し、説明を求め、怒る様子を記録するやり方です。違背実験の名で知られるのは主に後者で、あえて破るという遠回りな手続きがここで使われました。

驚き・戸惑い・恥ずかしさが結びつく先:相手の怒りと学生のきまり悪さ

違背実験の説明でよく並べられる感情、つまり驚き、戸惑い、恥ずかしさは、原典では偶然の副産物ではなく、手続きの設計段階から想定されていました。ガーフィンケルは論文の冒頭で、知覚される環境の無意味な特徴を増やし、当惑や狼狽や混乱を生み出して持続させ、不安・恥・罪悪感・憤りという「社会的に構造化された感情」を引き起こすには何をすればよいか、と問いを立てています。その操作が分かれば、日常の活動の構造がふだんどう生み出され維持されているかが分かるはずだ、という発想です。

これらの感情がなぜ怒りへ向かうのかについても、原典は筋道を示しています。論文の書き出しによれば、人々にとって見慣れた日常の場面は「そうであるのが道徳的に正しいから、そうなっている」事実として経験されています。当たり前の前提は、単なる習慣ではなく守られるべき決まりとして扱われているわけです。だから前提を破られた側は、まず説明を求めます。言葉の裏を疑う課題について、ガーフィンケルは、疑われた側は正当化を要求し、それが得られなければ怒る、疑った側は自分が有能な人間だと分かっているのにそう振る舞えない落差からきまり悪さを感じる、と予測しました。

結果は予測どおりの部分と、外れた部分に分かれました。疑われた相手の多くは、頼まれもしないのに説明やなだめを試み、それが通じないと怒りと「うんざり」をあらわにしています。前提が道徳として扱われているからこそ、説明が得られないと怒りに向かう、という筋道です。一方、疑った側のきまり悪さについては、原典は見知らぬ人に試した2人で強く表れたと書き、友人や家族に試した学生からは恥やきまり悪さの報告が非常に少なかったとしています。そうした学生からは、演じているうちに自分も腹が立ってきたという報告や、他人と自分の怒りを含めて手続きを楽しんだという報告が多く寄せられました。恥ずかしさがどう出るかは、相手との関係によって違ったわけです。

「文化的判断力喪失者」批判:値切る課題が崩した前提

もう1つ、値切る課題の設計意図に関わる論点があります。ガーフィンケルは原典で、社会学が社会の成員を「文化的判断力喪失者」(cultural dope)として描いてしまうことを批判しました。彼の定義では、文化的判断力喪失者とは、共通文化があらかじめ用意した正当な選択肢に従って行動することで社会の安定した特徴を生み出す、社会学者の社会に住む人間のことです。心理学者の社会に住む「心理的判断力喪失者」も同様に、精神機能の変数などによって強いられた選択をするだけの存在として描かれます。

値切る課題の結果は、この描き方に反する材料でした。定価という制度化された期待を破らされた学生は、恥じ入って縮こまるどころか3回目には楽しみ始め、店員はほとんど動じません。人は規範に機械的に縛られた人形ではなく、その場その場で常識的な判断を働かせながら秩序を組み立てている。違背実験は、混乱を作って見せる遊びではなく、この主張を支える材料を集める作業だったと理解するのが原典に忠実です。

なお、規範を破った人に対して周囲が説明を求め、レッテルを貼っていく過程そのものを主題化した理論として、ラベリング理論とは?ベッカーの逸脱理論の意味・具体例と批判、他の逸脱理論との違いがあります。あわせて読むと、逸脱を扱う社会学の見取り図がつかみやすくなります。

エスノメソドロジーにおける違背実験の位置づけと後続研究

エスノメソドロジーは、人々が日常のなかで秩序を作り上げていく方法そのものを研究する社会学の領域です。違背実験はその出発点にあたりますが、この領域の研究の主流が違背実験を重ねる方向へ進んだわけではありません。

秋谷氏は2010年の前掲論文で、この点をはっきり書いています。「『信頼』『背後期待』を発見した時点で、違背実験はその役割を終えている。近年のEM研究において違背実験が行われないのはそうした理由による。違背実験はH. GarfinkelがEM研究の基盤を構築する作業の一過程であって、それ自体がEM研究ではないのである。」

基盤が固まった後の研究は、わざわざ日常を壊さなくても、実際の相互行為をそのまま記述する方向へ進みました。会話分析や職場のフィールド研究がその主軸です。違背実験を「エスノメソドロジーの代表的手法」と紹介すると、この経緯が抜けます。秋谷氏の整理に従えば、違背実験は研究の基盤を作る過程で使われた手続きであり、それ自体がエスノメソドロジーの研究方法というわけではありません。

ただし、ガーフィンケルの試みが途絶えたわけでもありません。2023年刊の論集『The Anthem Companion to Harold Garfinkel』には、Keiichi Yamazaki と Yusuke Arano による章「Breaching and Robot Experiments: Continuing Harold Garfinkel’s Spirit of Experimentation」(141ページから162ページ)が収められ、人とロボットのやりとりを調べる実験研究にガーフィンケルの実験精神を引き継ぐ道を論じています。秋谷氏の論考は2010年時点の研究史の整理として読み、その後の展開は別に追うのが妥当です。

日常の実践をそのまま観察する方向の手法については、参与観察とは?読み方・意味と具体例、やり方をわかりやすく解説が対応します。

日本語で読める主要文献としては、ハロルド・ガーフィンケルほか著、山田富秋・好井裕明・山崎敬一編訳『エスノメソドロジー:社会学的思考の解体』(せりか書房)があります。1987年4月刊の328ページ版に対し、2025年12月に357ページの改訂版が出ました。ハーヴェイ・サックスやメルヴィン・ポルナーらの論文も収めた編訳のアンソロジーで、1967年の著書をそのまま訳した本ではない点に注意してください。

ビジネスや調査に応用するときの条件と限界

「当たり前を壊してみる」という発想は、調査や商品開発の現場でも語られます。実際、マーケティングリサーチ会社のなかには、一定期間その商品を使わないでもらい本質的な価値を明らかにする定性手法として、違背実験を用語集に登録している例もあります。ただし、原典の位置づけを踏まえると、応用には条件が付きます。

デザイン研究の分野では、アンディ・クラブトリー氏(Andy Crabtree、ノッティンガム大学)が、新しく開発した技術を実験室ではなく公共の場へ持ち込み、そこで生じる場当たり的な使われ方を観察する試みを、ガーフィンケルになぞらえて違背実験と呼びました(DIS 2004、“Design in the absence of practice: breaching experiments”)。日常に異物を投げ込み、そこから新しい秩序が立ち上がるところを見るという点で、たしかに形は似ています。

これに対して秋谷氏は、目的が違うと指摘します。クラブトリー氏の狙いはデザイナーに新しい発想を提供することにあり、ガーフィンケルが違背実験を行った際の目的意識とはかなりかけ離れている。ならば、それを違背実験と呼ぶ必要はないだろう、というのが同氏の結論です。試み自体を否定しているのではなく、名前の借り方に無理があるという指摘でした。

この整理は、マーケティングの現場にもそのまま当てはまります。たとえば電通マクロミルインサイトは、商品やブランドのユーザーに一定期間その使用を禁止し、禁止中の行動や意識を日記調査やインタビューで掘り下げる手法を、違背実験として紹介しています。目的は商品の隠れた価値や潜在的な競合を見つけることで、秩序の回復過程の観察ではありません。こうした調査を設計するなら、違背実験という名前より先に、何を禁止するのか、どの期間か、何を記録するのか(代替行動、不満の言葉、元に戻ったときの反応)を書き出しておくべきです。

倫理面の条件も見落とせません。原典でも、49件中4件で学生が怖くてできないと述べ、1件は持病のある母親への影響を理由に辞退しています。さらに原典には、相手の鼻が触れそうになるまで顔を近づける課題(79件の報告)があり、ここでは「実験者は状況を元に戻すことができなかった」と明記されました。言葉の裏を疑う課題でも、大半の場面は学生の説明で元に戻った一方、夫婦の例のように説明しても解けないわだかまりが残ったケースが報告されています。相手に無断で日常の関係を揺さぶる手続きである以上、現在の研究倫理の枠組みでそのまま承認されるとは考えにくい設計です。社内や家庭で軽い気持ちで試すことも勧められません。

顧客の言葉にならない前提を掘り起こしたいのであれば、エスノグラフィーとは?意味・語源とマーケティングでの使い方、企業事例で扱う行動観察のほうが、相手の日常を意図的に乱さずに同じ狙いへ近づけます。行動観察でも、対象者への説明と同意、プライバシーへの配慮は必要です。

違背実験と認知的不協和の関係:説明の水準の違い

違背実験の説明に、レオン・フェスティンガーの認知的不協和理論が持ち出されることがあります。規範を破られた人の居心地の悪さを、矛盾する認知が同時にあるときの不快な緊張として説明する筋立てです。

ただし、この2つは別系統の議論です。認知的不協和は個人の内側に生じる心理状態を扱う社会心理学の理論であり、ガーフィンケルが原典で用いた枠組みではありません。むしろ彼は、行為を心理的な変数に還元して説明する描き方そのものを「心理的判断力喪失者」として批判していました。違背実験が見ようとしたのは、個人の内心ではなく、人々が互いのやりとりのなかで秩序を組み立て直していく手つきのほうです。

両者は「規範が破られた場面を扱う」という点で表面的に重なるだけで、説明の水準が違います。認知的不協和そのものの定義や原典の数値については、認知的不協和とは?理論の意味・身近な例と解消法、原典の数値と再現性で扱っています。

よくある質問

違背実験の読み方は?

「いはいじっけん」と読みます。「違背」はデジタル大辞泉で「規則・命令などにそむくこと。違反。」と説明されている語です。英語では breaching experiment と表記され、日本語では侵犯実験や違反実験と訳されることもあります。

違背実験を考案したのは誰ですか?

アメリカの社会学者ハロルド・ガーフィンケル(1917年から2011年)です。ハーバード大学でタルコット・パーソンズに学び、1954年からカリフォルニア大学ロサンゼルス校で教えました。1964年の論文「Studies of the Routine Grounds of Everyday Activities」で一連の課題を報告し、1967年の著書『Studies in Ethnomethodology』の第2章に収めました。

違背実験の具体例にはどんなものがありますか?

原典に記録されているのは、自宅で下宿人であると想定して眺める課題、実際に下宿人のように振る舞う課題、会話中に相手の発言の意味を問い返す課題、定価品を値切る課題、三目並べで相手の手をずらす課題、相手に顔を近づける課題などです。よく紹介される「エレベーターで全員が扉に背を向けて立つ」は、1964年の原典論文には出てきません。

違背実験で観察された感情にはどんなものがありますか?

下宿人として振る舞う課題の報告書には、驚き(astonishment)、戸惑い(bewilderment)、衝撃(shock)、不安(anxiety)、恥ずかしさ・きまり悪さ(embarrassment)、怒り(anger)が並んでいます。言葉の裏を疑う課題では、疑われた側が説明を求め、得られないと怒りに変わりました。疑った側の恥ずかしさは見知らぬ相手に試した2件で強く出ただけで、親しい相手ではむしろ学生自身が腹を立てています。顔を近づける課題では、回避しようとする動き、戸惑い、強いきまり悪さ、人目を避ける態度、そして恐れや期待や怒りをめぐる不確かさが特徴的だったと記録されました。

規範を破られた家族はどう反応しましたか?

下宿人として振る舞う課題では、49件中9件が不成立となり、残る5分の4で家族が唖然としました。家族は「どうしたの」「病気なの」と説明を求め、家族の側が出した説明を学生が受け流すと、家族が身を引く、学生を孤立させようとする、報復する、非難するといった反応が見られました。ただし学生が事情を説明すれば、状況が元に戻らなかったケースは1件もなかったと報告されています。

エスノメソドロジーとは何ですか?

人々が日常生活のなかで秩序を作り上げ、それを互いに理解可能なものにしている方法そのものを研究する社会学の領域です。ガーフィンケルが基礎を築きました。違背実験はその基盤を作る過程で用いられた手続きで、秋谷直矩氏の2010年の整理では「信頼」「背後期待」が取り出された時点で役割を終えたとされます。その後の研究の主流は相互行為をそのまま記述する方向へ進みましたが、ロボットとの相互行為研究などで、ガーフィンケルの試みを引き継ぐ議論もあります。

違背実験は本当に「実験」なのですか?

ガーフィンケル自身は、原典で「私の研究は厳密に言えば実験的なものではない。それはデモンストレーションである」と断っています。統計的な仮説検定を目的とした手続きではありません。哲学者ハーバート・シュピーゲルバーグの言い回しを借りた「怠惰な想像力を手助けするもの」というのが、原典に書かれた位置づけです。

家族や友人に違背実験を試してもよいですか?

勧められません。原典でも、怖くてできないと辞退した学生や、持病のある家族への影響を理由に断った学生がいます。下宿人として振る舞う課題では、学生が説明すれば元に戻らなかったケースは1件もなかったものの、家族の大半は面白がっておらず、ある家庭では妹が4人家族を代表して「もうこんな実験はやめて。私たちはネズミじゃないのよ」と冷たく応じました。言葉の裏を疑う課題では、夫婦の間に説明では解けないわだかまりが残った例もあります。相手の同意なく日常の関係を揺さぶる手続きであり、現在の研究倫理の枠組みでそのまま実施できる設計とは言えません。

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