2026年7月21日に改訂されたコーポレートガバナンス・コード(CGコード)には、「TCFD」という語が1か所も残っていません。プライム市場上場会社にTCFD等に基づく気候開示を求めていた旧・補充原則3-1③は、補充原則という区分ごと廃止されました。
ただし、気候開示の要求が消えたわけではありません。有価証券報告書のサステナビリティ記載欄は2023年3月期から法定で、平均時価総額3兆円以上のプライム企業は2027年3月期からSSBJ基準での開示が義務になります。この記事では、改訂で何が外れ何が残ったのか、時価総額帯ごとに何をいつまでに準備するかを、東証・金融庁・IFRS財団の一次資料で整理します。
まとめ:2026年10月時点のプライム市場の気候開示
- 旧・補充原則3-1③(TCFDまたは同等の枠組みに基づく開示の質と量の充実)は、2026年7月21日改訂のCGコードで削除。サステナビリティは原則4-5に集約され、その解釈指針がISSB基準とSSBJ基準に言及する
- 解釈指針はコンプライ・オア・エクスプレインの対象外。ただしコードは「重要性が失われたと考えることは適切ではなく」と明記している
- 改訂版に沿ったコーポレート・ガバナンス報告書の提出期限は、遅くとも2027年7月末日
- TCFDは2023年10月に解散し、提言はIFRS S1・S2に取り込まれた。日本ではそれと整合するSSBJ基準が2025年3月5日に公表済み
- SSBJ基準の義務化は、平均時価総額3兆円以上が2027年3月期、1兆円以上が2028年3月期。第三者保証は適用の翌年から
- 時価総額1兆円未満のプライム企業も、有報のサステナビリティ欄で「ガバナンス」「リスク管理」の記載は必須
2026年7月のCGコード改訂と旧補充原則3-1③の変更点
旧補充原則3-1③の文言と2022年4月からの運用
2021年6月の改訂で新設された旧・補充原則3-1③は、後段で次のように定めていました。
特に、プライム市場上場会社は、気候変動に係るリスク及び収益機会が自社の事業活動や収益等に与える影響について、必要なデータの収集と分析を行い、国際的に確立された開示の枠組みであるTCFDまたはそれと同等の枠組みに基づく開示の質と量の充実を進めるべきである。
2022年4月の市場区分見直しと同時に適用され、プライム市場の全上場会社がコンプライ・オア・エクスプレインの対象になりました。東証の「コーポレートガバナンス・コードの全原則適用に係る対応について」は、TCFDの項目を全て開示しなくても「自社に必要と考えられる項目から順次開示の取組みを進めていただくことで差し支えありません」とし、CG報告書には「TCFD提言の項目ごとの開示の有無、シナリオ分析を行っている場合にはその旨など」を書く運用でした。TCFD開示が「プライム市場で実質義務」と言われたのは、この補充原則が根拠です。法令上の義務ではありません。
現行コードの原則4-5解釈指針とコンプライ・オア・エクスプレインの範囲
2026年7月21日版のCGコード本文(全27ページ)は、「プリンシプル化・スリム化」として補充原則を廃し、原則と「解釈指針」の2層に組み替えました。原則3-1(情報開示の充実)の開示事項は経営理念や報酬・指名の方針など(1)〜(5)だけになり、サステナビリティの記述はありません。
サステナビリティは【原則4-5.取締役会の役割・責務IV:サステナビリティを巡る取組み】に移りました。その解釈指針は「一定のプライム市場上場会社に対し、ISSB基準と整合的な、サステナビリティ基準委員会(SSBJ)により策定された開示基準に基づく有価証券報告書の作成が義務付けられている」と書き、気候変動を課題の例として挙げています。TCFDの名前の代わりに、法定開示の基準名が入った形です。旧補充原則3-1③の前段にあった人的資本・知的財産への投資は、原則4-1とその解釈指針へ移りました。
注意したいのは扱いの差です。序文9は、解釈指針は「コンプライ・オア・エクスプレインの対象ではない」としています。一方で序文12は、解釈指針へ移した記載や削除した記載について「その重要性が失われたと考えることは適切ではなく」と釘を刺しています。「コードから外れたので気候開示はやめてよい」という読み方は、コード自身が否定しています。
CG報告書の更新期限と2027年7月末までの対応
金融庁と東証が同日に公表した改訂の趣旨説明は、「上場会社は、遅くとも2027年7月末日までに、改訂版コードに関する事項について記載したコーポレートガバナンス報告書を提出する必要がある」としています。
書き換えで起きやすい失敗は、旧番号の残置です。「補充原則3-1③:実施」の欄をそのまま残すと、存在しない原則を引用した報告書になります。TCFDに沿った開示の実績は消さずに、原則4-5の取組みの説明か、有報のサステナビリティ欄への参照として書き直すのが自然です。
TCFDの語が消えても気候開示が残る根拠
有価証券報告書のサステナビリティ記載欄(2023年3月期から)
2023年1月31日公布の開示府令の改正で、有価証券報告書に「サステナビリティに関する考え方及び取組」の記載欄が新設されました。「ガバナンス」と「リスク管理」は必須記載で、「戦略」と「指標及び目標」は原則として重要性に応じて記載します。ただし、人材の多様性の確保を含む人材育成の方針・社内環境整備の方針と、その方針に関する指標は、「戦略」「指標及び目標」の必須記載事項です。2023年3月31日以後に終了する事業年度から適用され、市場区分を問わず有報を出す全社が対象です。
同じ改正で金融庁は、気候変動対応が重要な場合は「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標及び目標」の枠で開示すべきとし、Scope1・Scope2のGHG排出量は積極的な開示が期待されるとしました。この4つの枠はTCFD提言の4つの柱と同じです。CGコードからTCFDの語が消えても、有報ではTCFDの型で書く状態が続いています。
TCFDの解散とIFRS S1・S2への吸収
IFRS財団のTCFDに関するページによれば、金融安定理事会(FSB)は2023年7月にTCFDの作業完了を宣言し、TCFDは2023年10月に解散しました。IFRS S1・S2を適用する企業は、提言が完全に取り込まれているため、TCFD提言も満たすことになります。企業の気候関連開示の進捗モニタリングもIFRS財団が引き継ぎました。日本のTCFD賛同は、経済産業省の最終集計で2023年11月24日時点1,488企業・機関でした。
日本ではSSBJが2025年3月5日に、IFRS S1・S2と整合する3基準(ユニバーサル基準「サステナビリティ開示基準の適用」、テーマ別基準第1号「一般開示基準」、第2号「気候関連開示基準」)を公表しています。正確には、TCFDは「廃止された」のではなく、後継基準へ「吸収された」と捉えます。これまでのTCFD開示はSSBJ基準への移行の出発点になりますが、追加の開示要求や対象範囲との照合が必要です。基準4本の役割とSSBJ基準の適用時期の整理は、SSBJサステナビリティ開示基準とは?適用時期・開示項目とデータ基盤の要件にまとめています。
SSBJ基準の義務化スケジュールと対象会社
2026年2月20日に公布・施行された改正開示府令で、SSBJ基準の適用開始が決まりました。保証制度は改正金融商品取引法で導入され、金融庁の法改正説明資料が全体の日程を示しています。
| 平均時価総額(プライム市場) | SSBJ基準の適用 | 第三者保証 | 確定度 |
|---|---|---|---|
| 3兆円以上 | 2027年3月期から | 2028年3月期から | 開示府令で確定 |
| 1兆円以上3兆円未満 | 2028年3月期から | 2029年3月期から | 開示府令で確定 |
| 5千億円以上1兆円未満 | 2029年3月期から | 2030年3月期から | 予定(今後の制度改正) |
| 5千億円未満 | 未定 | 未定 | 今後検討 |
開示府令の文言では、適用は「令和10年3月31日以後に終了する事業年度に係る有価証券報告書等」から、ただし「令和8年3月31日以後に終了する事業年度の末日を基準とした平均時価総額が3兆円以上である会社」は令和9年3月31日以後に終了する事業年度からです。時価総額は原則として対象事業年度の前事業年度末と、その前4事業年度末の平均で判定します。上場後5事業年度未満の場合は経過した事業年度末の平均を用います。期末の株価上昇で平均が基準額を超えれば、対象になることがあります。
二段階開示と保証の範囲
適用開始年度とその翌年度は、SSBJ基準による記載を有報提出時に間に合わせなくてもよく、翌期の半期報告書の提出期限までに訂正報告書で追完できます(二段階開示)。保証は開示適用の翌年から義務になります。金融審議会WGのロードマップ資料では、保証水準は限定的保証、当初2年間の保証範囲はScope1・2とガバナンス、リスク管理とする方針です。水準(どこまで確かめるか)と範囲(どの項目を確かめるか)は別の論点で、初期はScope3や戦略は保証の対象外です。保証業務は登録制で、監査法人以外も登録要件を満たせば参入できます。
あわせて、将来情報や見積り情報、Scope3のように「統制の及ばない第三者から取得した情報」の虚偽記載について、一定の条件で民事責任を負わないセーフハーバー・ルールも設けられました。適用には、前提となる事実・仮定・推論過程や情報の入手経路等に関する社内の検討・評価手続等と、経営者による開示手続の整備・実効性確認を、真実に基づいて開示することが必要です。財務諸表に密接に関連する情報は対象から除かれます。
適用初年度の経過措置(気候以外・比較情報・Scope3)
SSBJ基準には、基準を適用する最初の年次報告期間だけ使える経過措置があります。気候関連のリスクと機会だけを開示すること、比較情報を開示しないこと、Scope3の温室効果ガス排出量を開示しないことが認められます(大和総研の基準解説の図表3に一覧あり)。経過措置を使った場合は、その旨の開示が必要です。これを使うなら、初年度に気候関連開示を整え、2年目に他の重要なサステナビリティ情報とScope3を加える進め方が考えられます。ただし、開示府令が別途求める人的資本等の記載は初年度も必要です。
TCFDの4つの柱と11の推奨開示をSSBJ基準へ引き継ぐ方法
TCFD提言は4つの柱の下に11の推奨開示を置いていました。SSBJ基準も同じ4区分で組まれているため、既存の開示を項目ごとに対応づければ、どこが足りないかがわかります。
| 柱 | TCFDの推奨開示 | 有報サステナビリティ欄 | SSBJ移行で厚くなる点 |
|---|---|---|---|
| ガバナンス | 2項目(取締役会の監督・経営者の役割) | 必須 | 監督の頻度と報告経路 |
| 戦略 | 3項目(リスクと機会・影響・レジリエンス) | 重要性に応じて | 財務的影響の定量化 |
| リスク管理 | 3項目(識別・管理・全社統合) | 必須 | 全社リスク管理との統合の説明 |
| 指標と目標 | 3項目(指標・GHG排出量・目標) | 重要性に応じて | Scope3のカテゴリー別開示 |
差が最も大きいのは「指標と目標」です。SSBJの気候関連開示基準は、法域の当局等が要求する別の測定方法を認める例外はあるものの、原則としてGHGプロトコルで排出量を測定し、Scope2はロケーション基準で開示し、Scope3はカテゴリー別に分解して示すことを求めます。有報で「Scope1・2のみ・連結の一部」という開示にとどまっている会社は、ここが最初の手戻りになります。
スコープ1・2・3の算定体制
保証が付く前提では、排出量の数字を「誰が、どのデータから、どの係数で出したか」を後から追える状態にしておく必要があります。活動量と排出係数の掛け方はCO2排出量の計算方法|活動量と排出係数の掛け方とデータ収集の設計【2026年】、Scope3の15カテゴリと一次データ収集はスコープ3とは|15カテゴリの範囲と1次データ収集の設計【2026年版】で解説しています。表計算で回すか専用ツールに載せるかの分岐はCO2排出量管理システムとは|機能範囲と自社開発の分岐・基幹データ連携の設計【2026年】を参照してください。
シナリオ分析の進め方:環境省ガイドの6ステップ
「戦略」の柱で求められるシナリオ分析は、環境省のシナリオ分析実践ガイド(第2章「実践のポイント」)が手順の標準になっています。支援事例から抽出した次の6ステップです。
- ガバナンス整備:戦略策定やリスク管理プロセスにシナリオ分析を組み込み、取締役会等の監視を置く
- リスク重要度の評価:政策と法律、市場・技術の変化、評判、物理的リスクから自社に効くものを選ぶ
- シナリオ群の定義:移行リスクと物理的リスクを含む複数の温度帯を選ぶ
- 事業インパクト評価:投入コスト、事業コスト、収益、サプライチェーン、営業停止への影響を見積もる
- 対応策の定義:ビジネスモデルやポートフォリオの変革、能力や技術への投資を決める
- 文書化と情報開示:入力変数、仮定、分析手法、結果、経営上の選択肢を開示できる形に残す
温度帯について、同ガイドは初めて取り組む企業に、信頼性のある外部シナリオを使いながら「2°C以下(現状であれば1.5°C)を含んだシナリオを複数(1.5°C、2.6°C〜4°C)選択すること」を勧めています。外部シナリオの候補として挙がっているのは、IEAのWorld Energy Outlook、SSP(共通社会経済経路)、PRIのIPR、NGFSです。
よく見かける不備は、ステップ4を定性の表で終えることです。「炭素税導入で調達コストが増加(影響:大)」という評価だけでは説明が不足します。定量情報の免除要件に該当する場合も、その理由と影響を受ける財務諸表項目等の定性的情報が必要です。炭素価格×自社のScope1・2排出量のように、前提を明示した試算を1本でも置くと、開示の質は大きく変わります。
時価総額帯別の開示準備と対応期限
同じプライム市場でも、2026年7月14日時点で1,551社(東証の集計)あり、SSBJ基準の適用時期は時価総額でまったく違います。準備の優先順位は次のように分けて考えます。
- 平均時価総額3兆円以上:2027年3月期の有報が初回。二段階開示を使うなら、追完の期限は翌期の半期報告書の提出期限。2028年3月期の保証に向けて、排出量データの統制と証跡を2026年度中に固める
- 1兆円以上3兆円未満:2028年3月期が初回。2027年3月期の有報で、SSBJ基準を任意適用するか、現行のTCFD型開示で予行演習をする年として使う
- 1兆円未満:法定のSSBJ適用は未確定。有報のサステナビリティ欄(ガバナンスとリスク管理は必須)と、2027年7月末までのCG報告書の更新が当面の対応範囲
1兆円未満の会社でも、適用見込みや取引先の要請によって準備の必要性は異なります。必要なデータと統制を整理せず、保証対応を目的に算定基盤の構築を発注するのは勧めません。適用時期が決まっていない段階で投資すると、確定時の基準改訂で作り直しになりかねないためです。まずScope1・2の算定範囲を整え、Scope3は排出量の大きいカテゴリーとデータ不足を把握します。その後は、適用見込みや取引先の要求に応じて算定・統制整備へ進めます。
逆に、時価総額に関係なく避けたいのは、CGコードの解釈指針も有報の記載も「ひな型」で埋めることです。現行コードの基本原則3の解釈指針は、非財務情報を巡って「ひな型的な記述や具体性を欠く記述となっており付加価値に乏しい場合が少なくない」との指摘があるとし、取締役会の積極的な関与を求めています。他社の開示例は構成の参考にとどめ、自社の排出量や事業構造、算定の前提と経営判断を具体的に説明します。
ESGの定義と開示制度の全体像はESGとは?意味と3要素、SDGs・CSRとの違いを簡単に解説【2027年3月期から開示義務化】、推進体制や指標づくりはESG経営とは?サステナビリティとの違い、SSBJ開示と進め方・体制づくりを解説にまとめています。
よくある質問
TCFD開示はプライム市場で義務ですか?
法令上の義務だったことはありません。2022年4月から2026年7月までは、CGコードの旧・補充原則3-1③によるコンプライ・オア・エクスプレインの対象でした。2026年7月21日の改訂でこの補充原則は削除され、現在は原則4-5の解釈指針がSSBJ基準に言及する形です。法定の義務は、有報のサステナビリティ欄と、時価総額1兆円以上のプライム企業へのSSBJ基準の適用です。
TCFDは解散したのに、TCFDに沿った開示は必要ですか?
TCFDは2023年10月に解散しましたが、提言はIFRS S1・S2に取り込まれ、日本のSSBJ基準もこれと整合しています。有報のサステナビリティ欄も同じ4つの枠で書くため、TCFDに沿った開示はSSBJ基準への移行準備としてそのまま役立ちます。
スタンダード市場・グロース市場の会社にもTCFD開示は必要ですか?
旧・補充原則3-1③のうち、TCFD等に基づく気候開示の充実を求める後段がプライム市場限定でした。前段のサステナビリティ等の開示はスタンダード市場も対象でした。SSBJ基準の義務化もプライム市場の大きな会社からです。ただし有報のサステナビリティ欄は有報を提出する全社が対象で、市場区分にかかわらず「ガバナンス」「リスク管理」の記載は必須です。
TCFD開示の例はどこで確認できますか?
各社の有価証券報告書の「サステナビリティに関する考え方及び取組」欄をEDINETで見るのが早道です。金融庁は開示府令改正と同日に「記述情報の開示の好事例集2022」を公表しています。シナリオ分析の進め方は、環境省の実践ガイドに業種別の支援事例があります。
CG報告書の「補充原則3-1③」の記載はどう直せばよいですか?
改訂版コードには補充原則が無いため、旧番号のまま残さず、2027年7月末までに提出する報告書で書き換えます。TCFDに沿った開示の実績は、原則4-5(サステナビリティを巡る取組み)の説明か、有報のサステナビリティ欄への参照として記載し直します。解釈指針はコンプライ・オア・エクスプレインの対象外ですが、取組みの説明を省略してよいという意味ではありません。