センスメイキング理論は、組織心理学者カール・ワイクが体系化した「人と組織が出来事に意味を与えていく過程」の理論です。日本語では「意味づけ」「腹落ち」と訳され、VUCAや組織変革の文脈で紹介されることが増えました。この記事では、よく紹介される2点、つまり7つの要素の中身と、雪山で遭難した部隊がピレネーの地図でアルプスから生還したという逸話の出どころを、原典まで戻って確認します。
7つの要素はワイクの原書『Sensemaking in Organizations』(SAGE, 1995)第2章の見出しそのものなので、原語とページ番号を対照できます。「ピレネーの地図」は軍の記録ではなく詩が出どころで、その事実は2006年の学術誌で特定されています。どちらも訳語だけを追っていると意味が変わってしまう部分です。
まとめ:センスメイキング理論の要点
- 提唱者はカール・ワイク(Karl E. Weick、1936年10月31日〜2026年5月21日)。ミシガン大学ロス・スクール・オブ・ビジネスで長く教えた組織論の研究者で、2026年5月21日に89歳で亡くなっています。
- 理論の土台は『Sensemaking in Organizations』(SAGE Publications、1995年5月、248ページ、ISBN 9780803971776)。7つの特性は同書第2章「Seven Properties of Sensemaking」(17ページ以降)の節見出しです。
- 7番目の「正確さより納得できること(plausibility rather than accuracy)」は、正確さを軽んじてよいという主張ではなく、人の意味づけが厳密な正しさではなく筋の通り方を基準に進む、という記述です。
- 「ピレネーの地図」の逸話はミロスラフ・ホルブの詩「Brief Thoughts on Maps」が出どころで、2006年に学術誌ephemeraで出典が特定されています。実在の軍事記録として紹介するのは誤りです。
- ワイク本人が事例として分析したのは1949年のマンガルチ火災で、13人が死亡した「意味づけが崩壊した」側の事例です(Administrative Science Quarterly, 1993)。
センスメイキング理論の定義と提唱者カール・ワイク
センスメイキング(sensemaking)は、英語の make sense of 〜(〜の筋道を理解する)から来た語で、「出来事を言葉にして、筋の通る理解をつくる過程」を指します。日本語では「センスメーキング」と表記されることもありますが、同じ概念です。ワイクらが2005年にOrganization Science誌16巻4号(409〜421ページ)で示した定義は「状況を、言葉で明示的に理解され、行動への跳躍台となる事態へと変えること」です。何が起きたのかを言葉にし、その言葉に沿って動く。ワイクが扱ったのは、この言葉づくりが個人の頭の中ではなく、組織の相互作用の中で進むという点でした。
ワイクはインディアナ州ウォーソー生まれ。パデュー大学、ミネソタ大学、コーネル大学、テキサス大学オースティン校を経てミシガン大学に移り、レンシス・リッカート記念特別教授を務めました。「ルースカップリング」「マインドフルネス」「センスメイキング」という語を組織研究に持ち込んだ人物として知られます。Academy of Managementは2026年6月4日付の記事で、ワイクが2026年5月21日に89歳で亡くなったことを伝えています。
「腹落ち」という訳語が置き換えている部分
日本でセンスメイキングが「腹落ち」と結びつけて語られる背景には、入山章栄『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社、2019年12月、832ページ)第23章「センスメイキング理論――『未来はつくり出せる』は、けっして妄信ではない」があります。同じ著者はダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビューの連載でも、行動を起こして初めて納得に至るという順序を強調しています。ただし「腹落ち」という一語では、7つの特性のうちとくに「回顧的」「社会的」という性格が伝わりません。原語に戻すと、意味づけは事後に、しかも複数人の間で立ち上がるものだという含意が見えてきます。
原書第2章が示す7つの特性と訳語の対応
原書第2章の目次に基づき、7つの特性と開始ページを示します。原書はSAGEの書誌ページで刊行情報を確認できます。日本語記事で流通している訳語と並べると、どこで意味がずれているかがわかります。
| 原書第2章の節見出し | 開始ページ | 内容に即した訳 | 日本語記事でよくある訳 |
|---|---|---|---|
| 1. Grounded in Identity Construction | 18 | アイデンティティの形成に根ざす | アイデンティティ |
| 2. Retrospective | 24 | 回顧的(事後に意味がつく) | 振り返り |
| 3. Enactive of Sensible Environments | 30 | 行為が環境そのものをつくる | 実行力・行動 |
| 4. Social | 38 | 社会的(他者との間で進む) | 社会性 |
| 5. Ongoing | 43 | 進行中(始点も終点もない) | 継続性 |
| 6. Focused on and by Extracted Cues | 49 | 抜き出した手がかりに焦点が絞られる | 情報の部分的認知 |
| 7. Driven by Plausibility Rather Than Accuracy | 55 | 正確さより納得できることで動く | 正確性よりも説得性 |
イナクトメントを「実行力」と訳すと落ちる意味
3番目の enactive of sensible environments は、日本語記事では「実行力」「行動・行為」と訳されることが多い要素です。しかしenactmentは「実行」ではなく「制定」に近い語で、ワイクが言っているのは、環境は外側に固定的に存在するのではなく、人が動いた結果として立ち現れるということです。営業担当者が値下げに踏み切れば、競合も値下げで応じ、「価格競争が激しい市場」という環境がそこで出来上がります。観察対象だったはずの環境を自分の手でつくってしまう、という指摘が核心で、「積極的に行動しましょう」という訓話ではありません。
第7特性の読み違いと、正確さが必要になる場面
7番目のplausibilityは、しばしば「正確さはどうでもよい」と受け取られます。原書の見出しは driven by plausibility rather than accuracy、つまり人間の意味づけは実際にそのように駆動されている、という記述です。処方ではありません。この違いは後述するマンガルチ火災の分析で決定的になります。筋の通る物語が先に固まると、それに合わない手がかりが視界から外れ、判断が遅れるからです。
「ピレネーの地図」逸話の出典は軍の記録ではなく詩
センスメイキングの解説でよく引用される逸話の一つが、雪山で遭難したハンガリー軍の偵察隊が、隊員の持っていた地図を頼りに下山し、後からその地図がアルプスではなくピレネーのものだと判明したという話です。「間違った地図でも動き出せば生還できる」という教訓とともに、成功事例として紹介されます。
この話の出どころは軍の記録ではありません。チェコの詩人ミロスラフ・ホルブの詩「Brief Thoughts on Maps」で、Times Literary Supplementに1977年に掲載されたものです。トマス・バスボルとヘンリク・グラハムが学術誌ephemera 第6巻2号(2006年5月)に寄せたノート「Substitutes for strategy research: Notes on the source of Karl Weick’s anecdote of the young lieutenant and the map」が、ワイクによる6件の引用例と、その出典であるホルブの詩を並べて特定しました。同号にはワイク本人の応答「Dear editor: A reply to Basbøll and Graham」も収録されています。
詩であることは、この逸話の価値を下げるものではありません。問題は、詩を実在の軍事記録として紹介すると、「間違った地図でも現実に人が助かった」という検証済みの証拠があるかのように読めてしまう点です。2026年9月21日にGoogle日本版で「センスメイキング理論」を検索し、上位10件のうち本文を取得できた他社記事5本(sofia-inc.com、schoo.jp、doyu.jp、new-one.co.jp、data.wingarc.com)を確認したところ、sofia-inc.com・doyu.jp・new-one.co.jpの3本がこの逸話を紹介し、出典が詩であることに触れたものは0本でした。引用するなら、詩として発表された話であり、実際の出来事に基づくかどうかは確認されていない、と添えるのが正確です。物語が人を動かす仕組みそのものについては、ストーリーテリングとは?意味と型・事例と「22倍」説の出典を検証で研究の裏づけを整理しています。
ワイクが実際に分析した事例はマンガルチ火災の崩壊
ワイクが事例として取り上げたのは、成功譚ではなく失敗のほうです。論文「The Collapse of Sensemaking in Organizations: The Mann Gulch Disaster」はAdministrative Science Quarterly第38巻4号(1993年12月)の628〜652ページに掲載されました。要旨は、ノーマン・マクリーンの著書『Young Men and Fire』で知られるこの災害を「最小限の組織における役割構造と意味づけの相互作用的な崩壊」として分析すると述べています。自ら現場を調査した報告ではなく、マクリーンが描いた記録の読み直しです。1949年8月5日、モンタナ州ヘレナ国有林のマンガルチで、15人の空挺消防隊員が降下して地上の消防士1人と合流し、その16人のうち13人が焼死しました。
ワイクが焦点を当てたのは、装備や技術ではなく、指揮系統と解釈が同時にほどけていく過程です。隊長ワグナー・ドッジが目の前の草に火を放ち、焼け跡に伏せて生き延びる方法(エスケープファイア)を指示したとき、隊員たちはその行為の意味を理解できず、従わずに走り出しました。ドッジは焼け跡に伏せて生還し、ほかに2人が岩尾根の割れ目へ抜けて助かっています。手元の物語が壊れると、指示が指示として届かなくなる。論文はそのうえで、意味づけの崩壊に対する4つの耐性として、即興、仮想の役割体系、知恵の姿勢、敬意ある相互作用を挙げています。
この事例が教えるのは、センスメイキングが「うまく意味づければ成功する」技法ではないということです。この論文が扱ったのは、意味づけが成り立つ条件ではなく壊れる条件のほうでした。危機下で役割と関係が保たれるかという問いは、レジリエンスとは?意味・語源と高める方法|研究データで見る回復力の実像で扱う回復力の議論とつながっています。
納得感で代用してはいけない場面
センスメイキングは、人と組織が何をどう言葉にするかを記述する理論です。これを「納得させれば足りる」という実務の処方に読み替えると壊れる場面が3つあります。
第一に、納得できる説明を早く配ることで、事実の確定を後回しにする場面です。品質不良の原因究明、事故調査、会計上の数字の確定は、筋の通る説明より裏づけのある数字が先に要ります。説明が固まると、それに合わない手がかりが議論から落ちます。マンガルチ火災の論文が扱ったのも、役割構造と解釈が同時に崩れていく過程でした。
第二に、「腹落ちさせる」が一方的な説得の言い換えになっている場面です。7つの特性の4番目は社会的であること、つまり意味は相互作用の中で立ち上がるという性格です。経営が用意した物語を現場に配って理解を求める運用は、理論の名前を借りた通達にすぎません。異論が出せる場が先に要る点は、人事担当者・管理職必読:心理的安全性を理解する方法。安心して意見交換できる組織環境の意義と必要性を解説で整理しています。
第三に、意思決定プロセスの代替として使う場面です。ワイクらは2005年の論文で、センスメイキングが扱うのは「評価が選択に及ぼす影響ではなく、行為と解釈の相互作用」だと書いています。選択肢を比較して選ぶ手続きとは別物なので、投資判断の基準や撤退ラインは別途決めておく必要があります。
手がかりの抽出から説明の書き換えまで、実務での進め方
ここから先は原典が定めた手順ではなく、7つの特性のうち手がかりの抽出(6番目)、社会的であること(4番目)、行為が環境をつくること(3番目)を軸にこの記事で組み立てた進め方です。
まず、判断材料を全部並べるのではなく、何を手がかりとして取り上げるかをチームで決めます。解約率なのか、現場の違和感なのか、対象を絞らないと解釈が始まりません。次に、その手がかりから暫定の説明をつくり、「まだ仮です」と明示したまま共有します。7番目の特性が示すとおり、人が動く手がかりになるのは厳密な正しさより筋の通り方です。ただし確定した結論として配ると、後から書き換えられなくなります。最後に、その説明に沿って小さく動き、返ってきた結果で説明を書き換えます。3番目の特性が言うとおり、動いた結果が次に解釈する環境そのものを変えているからです。
振り返りでは、採用した手がかり・そのときの説明・動いた結果の3つを残しておくと、説明を書き換えた履歴が追えます。チーム単位で学習を回す設計はチーミングとは何か?その意味や定義を詳しく解説し、変化の激しい現代社会で成果を上げるチーム形成の在り方を探るが詳しい領域です。
マスビアウの『センスメイキング』とナラティブアプローチとの違い
同じ「センスメイキング」という名前で、別系統の本が流通しています。クリスチャン・マスビアウの『Sensemaking: The Power of the Humanities in the Age of the Algorithm』(2017年)は、データ偏重への反論として人文科学的な理解の仕方を説く一般向け書籍で、ワイクの組織論とは系統が違います。日本語の記事では両者が混ざって紹介されることがあるため、参考文献を見るときは著者名で切り分けてください。
隣接する日本語の概念も整理しておきます。ナラティブアプローチとは?外在化・オルタナティブストーリーの意味と実践5ステップは臨床・対人支援の系譜で、語りを組み替えて当事者の問題を外在化する技法です。ストーリーテリングは物語を設計して伝える側の技術を指します。センスメイキングはそのどちらでもなく、組織の中で意味がどう立ち上がるかを記述する理論で、実践技法として名指しされているわけではありません。
よくある質問
センスメイキング理論とは何ですか?
カール・ワイクが体系化した、人と組織が出来事に意味を与えていく過程についての理論です。中心の主張は、意味づけが事後的に、他者との相互作用の中で、正確さよりも筋の通り方を基準に進むという点にあります。
カール・ワイクはどのような人物ですか?
1936年10月31日生まれ、2026年5月21日に89歳で亡くなったアメリカの組織論研究者です。ミシガン大学ロス・スクール・オブ・ビジネスのレンシス・リッカート記念特別教授を務め、ルースカップリング、マインドフルネス、センスメイキングの3つの概念を組織研究に導入しました。
イナクトメントとは何ですか?
原書第2章3番目の特性 enactive of sensible environments を指す語で、行為が環境そのものをつくり出す性格のことです。「実行力」という訳が使われますが、行動量の話ではなく、動いた結果として直面する環境が変わるという意味です。
書籍『センスメイキング』はワイクが書いた本ですか?
日本語で流通している一般向けの『センスメイキング』はクリスチャン・マスビアウの著書(原著2017年)で、ワイクの本ではありません。ワイクの理論そのものを読むなら『Sensemaking in Organizations』(SAGE Publications, 1995)が原典です。
センスメイキングとセンスメーキングは違うものですか?
同じsensemakingの表記ゆれで、内容に違いはありません。文献を探すときは両方の表記で検索し、その文献がワイクの組織論を指しているか、マスビアウの書籍を指しているかを著者名で見分けてください。